りさ子のガチ恋♡俳優沼
何かに必死で生きていることは、側から見ると滑稽でしかないかもしれない。それでも私は今を必死に生きていく。
Twitterでは書ききれなかったので、ブログにしたためることにしました。
奇しくも推しが結婚して1ヶ月が経って、ようやく自分を外から見つめられそうなタイミングで観ることができたこの公演。
感想としては、観ることができてよかった。救われた。それだけです。以下ネタバレ。
【ストーリー】
26歳、彼氏なし。OLりさ子の趣味は舞台観劇。
大好きなイケメン俳優しょーた君を追いかける日々。
彼が出演中の2.5次元舞台『政権☆伝説』に大ハマリ中。
最前席で全通。グッズもコンプ。そして高額プレゼント。
「がんばってる姿を観られるだけで幸せ」そう思いつつも。
彼のちょっとした「特別扱い」に心ときめいていた。
ある日。ネットでしょーた君に彼女疑惑が持ち上がる。
彼との匂わせを繰り返す女が気になり暴走するりさ子。
エスカレートする迷惑行為。その行きつく果ては……。
俳優とファン――「この関係で、私の気持ちは届くのかな?」
演劇業界の闇に切り込む、見て見ぬふりをしたかった愛憎劇。
【感想】
きっと、俳優オタクを嘲笑うような、コメディ仕立ての話なんだと既に想像で少し腹立たしく思いながら観に行きました。
この世界にいると、観客はあまり自分たち自身でお客様は神様思考にはなれないんです。むしろ私自身は応援してることをどこか引け目に思っているというか。可愛い子なら嬉しいだろうけど、私はどう考えても可愛くもスタイル良くもない地味で覚えにくい顔の女なので、しかも妙齢で、まあ多分そんな地味な女が顔を覚えてしまうほど毎日毎日劇場にいたら、スタッフさんとかはこわいんじゃないでしょうか。こいつ俳優と付き合いたいんじゃ、とか思うんじゃないんですか。知らんけど。
そういう割にそういう層向けのチケットの売り方をしてたりするじゃないですか。恐らく馬鹿にしていながら。だから正直なところ観に行くのがこわかったし、少しでも観劇オタクを馬鹿にするような描写があったら糾弾する気まんまんだったんです。
が、
りさ子もたまちゃんもアリスちゃんもみんな私だった。私の中に確かに存在する人たちだった。
きちんと1人の人間として尊重して描かれていたのが、本当に本当に嬉しかったんです。
岐阜から遠征して観劇にくるたまちゃんと、実家でやりくりしながら通うアリスちゃん。そして全通コンプの追っかけ、りさ子。
全員この世界には溢れるほどいる。そしてみんなの考えていることが分かりすぎるほどわかる。
松澤くれはさんはどこのオタクを潜入調査したのかってくらいリアリティのある世界でした。愚痴垢もあれば、行けませんリプもあり、特定垢もある。この業界の人がここまでオタクの世界を分かっていた、ということがこの舞台を観て得た大きな収穫です。
わたしはそもそも全通はもちろん出待ちとかもしないので、認知なんて程遠いゆるいオタクなんですが、それでもオタクって板の上の俳優とどこか通じあってると思うんです。
馬鹿みたいでしょうか。
滑稽でしょうか。
客席と板の上で分かり合えることはひとつもないんでしょうか。
事実はそうなのかもしれない。
でもきっとなにか通じ合えるものはあると信じてるから私は応援できているのです。
りさ子たちが応援しているしょーたくんは24歳とは思えないほど人間として本当に出来た子です。こんな俳優いたら推せます。
しかしストーカー行為をされて、妄想ブログ書かれて、乗り込んだ彼女を監禁されナイフ突きつけているファンとしっかり話して、ファンの心の闇と向き合って気持ちを受け止められる俳優なんてこの世にいるんでしょうか…。いたら本当に素晴らしいですけど、俳優の仕事はファンの心の闇と向き合うことじゃないので、それはセラピストさんに任せて全然大丈夫です。責めないです。でもしょーたくんは素晴らしい。若手俳優がしょーたくんに1ミリでも共感できるのであれば、この世はバラ色なのかもしれない。それ以外はあまりにリアルなのにしょーたくんだけ存在がファンタジーすぎてこんな人いるのか全然信じきれない自分がいました。
りさ子は途中まで物凄く共感できて、途中から踏み込んではいけない一線を越えてしまって感情についていけなくなるんですが、最後にしょーたくんに畳み掛ける独断場が、全部共感できるんです。ガキさん凄すぎました。ひとつひとつが全部すとんと自分の中に落ちてきて、言って言ってー!もっと言ってー!ってなりました。
これ、めちゃくちゃ怖くないですか。実際にストーカーされている場面よりホラーでした。だって私にもりさ子は少なからずいるんだもん。多分ほんの数センチの心のズレが私とりさ子を分けているんです。
りさ子にとってなによりショックだったのは「彼女はいない」と嘘をつかれたことで、いるならいるって言って欲しかった。好きな人の好きな人を好きになれるかもしれなかったのに。何が起きても大丈夫だと思ってたのに彼女がいるって知った瞬間全部信じられなくなった。付き合ってほしいなんて思ってなくて、ただ、少しでも特別になりたかった。お金と時間をかけていたのに、イベントで「初めまして」と言われる人間なんだと突きつけられたのが受け止められなかった。
私は泣きながら聞いていました。共感しすぎていて。しょーたくんは全部受け止めてくれます。ファンである以上、りさ子を嫌いになんてなれないと言って、全て正直にご報告ブログを書きます。
りさ子は2人を解放してチケットを破り捨ててしまいます。
「愛はいつも私を裏切る」と言って。
そして、カーテンコール。幕が降り、りさ子が客席に現れ、新しい推しにお疲れ様でした、と言って幕。ラストは舞台自体もカンパニーの色恋沙汰で降板になったり、後味悪かったです。
結局りさ子は原敬のしょーたくんが好きだっただけで、しょーたくんのお芝居自体には魅力を感じてなかったんだなあ、とちょっと残念な気持ちになりました。原敬降板したらどうしたんだろう…。私は実際そっちの出来事の方が病んだので…。
私自身、りさ子のような感情ももちろんあるけど、でもそれより推しに幸せになってほしいし、役者としてもっともっと頑張ってほしい。認められてほしい。そしてなにより私は彼のお芝居がとてもとても好きなので、もっとたくさん観たい。 だから結婚しても大好きです。既婚者に大好きというのは正直自分の倫理観とのたたかいなんですけど、大好きです。ここが、この気持ちが、私とりさ子を分ける一番大きな隔たりなのだと思います。
私はりさ子にはならない。とても近い感情はあったと思うし、今もあるけれど、俳優としてとても好きだからこの線は踏み越えない。
結婚発表された時、この感情を人に説明することがとても難しくて、一般の人はおろか同じファンはおろか自分自身でもよく分かっていなくて。
名前もつけられず、この1ヶ月もやもやとしていた気持ちをこの舞台を観たおかげで少しずつ晴らすことができて、本当に観て良かったと思いました。
誰にも分かってもらえないと思っていたのに、分かってくれる人がいて、しかも演劇界にいる。震えるほど幸せでした。
色んな若手俳優や若手俳優の彼女(笑)、若手俳優オタクの皆さんに観てほしいです。
演劇界に一石を投じる良作でした。
そして私はまた明後日からの推しの初日向けてお手紙を書くのでありました。
魔王コント
先日勢いで誰に通じるのかわからないなんちゃって論文を書きましたが、今回はちゃんとした感想です。
魔王コントからいつの間にか2ヶ月が過ぎようとしています。
面白くて楽しくて久しぶりに明るい気持ちで劇場を後にできる矢崎さん出演作品に出会いました。色々考えたけど、引きずらなくていいのは個人的にはとてもありがたかった。家城啓之さんの舞台は初めましてだったのですが、矢崎さんとめちゃくちゃ相性良い感じがしました。
マンボウやしろさんといえば、私にとってはスカロケの本部長。ブラック企業勤めの時社内でTOKYO FMから流れてくる本部長の励ましの言葉に何度も涙ぐんだ思い出があります。やしろさんは一人一人の相談に対して誠実に言葉を紡いでくれる方で、まるで自分に対して言ってくれてるみたいなんですよね。今はラジオが流れない職場なので縁遠くなってしまってますが、たまに聞くと、やっぱりやしろさんの言葉の力は偉大だなと思います。
そんなやしろさんが料理した矢崎広なんですが、矢崎さんの引き出しという引き出しから、たくさんの面を見せていただいていて、お得感満載というかなんというか例えるなら ベストアルバムでした!!
今年まだ矢崎さんにはたくさんの役が残されているけど、サルトより好きな役はあるかもしれないけど、サルトほどお得な役はないと思う。それほど矢崎広詰合せでございました。
かっこいい部分もかわいい部分も苦しんでる表情も色っぽい表情も笑いを取る部分もすべる部分もちゃらい部分も誠実な部分も全て!!!全てが濃縮還元されたような舞台でした。
メガホンで民衆の歌を熱唱したりすっごい長々とキスしたり際どいポーズしたり、かと思えば飛び蹴りしたりめちゃくちゃに罵倒したり可愛い子ぶったり…。最後は勝どきをあげててあまりのかっこよさに悶絶するという…どうして話の筋が通ってるんだ…。矢崎広は舞台中に成長するのが上手いっていう話は散々してると思いますが、その実力がいかんなく発揮された舞台でした。
お友達と「これはファンイベ」「これはベストアルバム」とか言い合ってました。それくらいすごい。
思ったよりものすごく親和性が高かったです。
毎日演出が変わっていって、場面が増えたり減ったりして通うのが楽しかった。もっと行けば良かったです。悔やむ…。
ノンスタ石田さんを始めとする芸人チームと矢崎さんやこばかつ、啓さん達の俳優チームの笑いに対するアプローチが全然違って、勝手にとてもエキサイトしてました。石田さんもおっしゃってたんですが、芸人さんはたくさんの言葉を重ねて笑いを取るのに対し、俳優さんはあくまで言葉はそのままで、間を使って笑いを取ることが多いように感じました。
明確にどちらが、というわけでもなくとにかく面白い人が多かったので、笑いっぱなしの2時間でした。ただ、観客が笑っていることが本当はすごく残酷だったりする、それがものすごく恐ろしくもありました。
一度、ラストにランディ魔王が自殺する場面で大爆笑が起きた時、背筋が凍るような気持ちになりました。この2時間で笑ってきたことの中身のエグさをそこで実感してしまったのだと思います。サルトをホモだと笑い、ガーナやみゆき姫をブスだと笑い、ランディの自殺を笑うんです。笑わせるようにできてる。笑うのが悪いって言いたいわけでもなくて、事実私は初見で笑ってしまったし。泣きもしましたけど。
正義と悪、笑いと悲しみって紙一重なんだなあとこのお話を繰り返し観るうちに気づかされました。
世界平和という大きな規模でなくても、誰かを悪者にするのってすごく簡単に仲が深まるものだと学生時代から思っていて。私自身はなるべくそういうものに頼らず人と仲良くやっていきたいし、だけどどうやったらなれるんだろうと模索してもいます。サルトのように間違ってる!と言う勇気もない小さな人間だから、必要悪に頼らないという小さな抵抗で小さな世界を平和にできるようにこれからももがきながら頑張ろうと思います。
こんな感じで色々考えることができて、メッセージ性が強く明確でしたし、楽しかったです。
あと、唐橋充さんにも匹敵するイケオジ枠だと勝手に思ってる加藤啓さんが、本当にただただかっこいいキス魔になっていて惚れそうでした。そして言葉がものすごく深かった。
「TRUE LOVEとは愛の使い方と覚悟の深さだよ」
この言葉を、ずっと心に留めておきたいと思っています。
「魔王コント」とフリーメイソンに関する比較考察
<序論>
魔王コントは2017年4月12日〜4月16日まで下北沢本多劇場にて上演された演劇作品である。脚本、演出は家城啓之で2010年に家城氏が組んでいたお笑いコンビ「カリカ」で上演されたコントショーの再演となる。今回、主演に矢崎広を迎え、石田明、小林且弥、小林顕作など豪華キャストによって演じられ、内容は初演から大幅なアレンジを加えられている。
本作品は「世界を守るのはいつだって悪なんだ」をテーマに、必要悪と人間愛に揺れ動く世界をコントという形式をとりながら描いている。私は本作に登場する魔族の概念がフリーメイソンの定義と似ていると感じた。
そこで本論文ではフリーメイソンの慣習と魔王コントの世界の関連性を述べ、後半にはモーツァルトがフリーメイソンに贈ったとされる歌劇「魔笛」と魔王コントの比較考察を論じていく。
なお、本論文の根拠については全てインターネットで調べた内容になるため、真偽に一切の責任を追わないこととする。
<本論>
フリーメイソンとは16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社である。「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念を持ち、活動している。元は石工団体だったため、三角形で作ったコンパスと定規がシンボルとなっている。また、神の全能の目を意味するプロピデンスの目も、シンボルとして用いられていた。(Wikipediaより抜粋)
本来の活動としては、「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体であり、ボーイスカウト、ロータリークラブ、ライオンズクラブ等のような社会奉仕団体なのだが、相反するフリーメイソン陰謀論が囁かれているのも、また事実である。
この世に起こる天災・人災はすべてフリーメイソンが関わっている。彼らは様々な企業、団体に潜り込み、世界征服をねらっている…といった都市伝説である。
なぜ、友愛結社なのに世界征服を狙っていると噂されるのか。真偽のほどはともかく、ここに魔王コントにおける魔族とフリーメイソンにおける必要悪の共通性を見出した。
どちらも平和な世の中にするための道具として天災、人災を使用しているという点である。一見すると真逆のことをしているようだが、魔王コントの作中で、魔王はこのように述べている。
「ボクが魔王になってなかったらもっと多くの人間が死んでたよ。魔王がいない時の人間は戦争ばっかりしてたんだよ。人間が人間を殺すための兵器作りにしのぎを削り、毎日毎日人間同士で殺しあったんだよ。」
人間は共通の敵を作ると一気に団結力や協調性が高まる生物と考えられる。その性質を利用し、人類皆兄弟の理想実現のために動いているという点において、フリーメイソンと魔族は共通している。
この点が、私が2者を比較しようと考えた最も大きな理由である。
さらにフリーメイソンの慣習と魔王コント作中における共通点を見てみよう。
前述した通り、フリーメイソンは三角形とプロピデンスの目をシンボルとしている。魔王コントのポスターも3人が三角形を作り、3人の目に「魔」の文字が浮かび上がっており、「3」という数字と目が印象的な仕上がりになっている。
フリーメイソンにおける3という数字はとても大きな力を持っている。(3のルール)
例えば、彼らの重要なシンボルであるピラミッドはトライアングルであるし、彼らの位階は下位が3階級、上位を含めた全体としては33階級(スコティッシュ・ライトの場合)である。彼らは〈直角定規〉と〈コンパス〉と〈聖なる法典〉を合わせて「3つの大いなる光」と呼ぶ。下位の3階級にはそれぞれ違った "3つ一組" の象徴的な〈作業道具〉が与えられる。また、そもそも「自由・平等・博愛」も「3」なのである。(3つのルールとフリーメイソンより抜粋)
魔王コントのメインの登場人物が3人であるという点においても共通していると考えられる。
また、魔王コントにおいて色欲の虎が
「(主人公サルトが"えっ、神様っているんですか?"と質問したことに対して)そういうところがマジで人間やばいよね。散々魔王に殺されてビビってるくせに、魔王の存在は信じてるのに神様信じないとかマジで絶滅した方が地球の為なんだけど。」
と述べている場面がある。
フリーメイソンに入会するためには入会資格として何らかの真摯な信仰を要求しており、無神論者は入会することができない。
主人公サルトは冒頭は無神論者だったが、その後タイガーバーム神と実際に会ったため、神を信じるようになる。そこから入会資格を得たため、魔族となれたのではないか。
この点も共通性を持つものと考えられる。
続いて、モーツァルト作曲「魔笛」と魔王コントの関連性についても述べていこう。
歌劇「魔笛K.620」は1791年にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにより作曲された。この歌劇はモーツァルトの知人であり、フリーメイソン会員のシカネーダーのために作曲されたと言われている。
本作にはフリーメイソンのさまざまなシンボルや教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、とりわけ各所に「3」を象徴的に使っているのが目立つ。序曲の最初や中間部で鳴り響く和音(同じフレーズが3回演奏される)は、フリーメイソンの儀式で使われるもので、劇中ザラストロの神殿内の場面でも再現されている。2人の作者がメンバーとしてフリーメイソンの精神をオペラ化したとも、当時皇帝から圧迫を受けつつあったフリーメイソンの宣伝であったなど、教団との関わりを重視する指摘があり、今日の演出にも影響を与えている。(Wikipediaより抜粋)
魔王コントの作中でもモーツァルトは頻繁に使われており、特に後期の作品である魔笛とレクイエムが印象的に使用されていた。このような経緯で比較対象として選出した。
まず、登場人物として魔笛ではヒーローポジションであるタミーノと魔王コントで主役のサルトを比較したい。
どちらも共通する点としては、登場時は情けなく、頼りないキャラクターだが、後半に進むにつれ成長し、最終的には団体を代表するような人物に成長するというところだ。
タミーノは登場時、大蛇に襲われる場面からのスタートだが、サルトも友人を見捨てて死なせてしまう場面から始まる。
しかし、後半にかけて、タミーノはパミーナ姫と結ばれるために教団の神官ザラストロの試練を乗り越え、サルトは魔族のリーダーとして君臨する。
1人の青年の成長を描いている点が共通している点の1つに挙げられるだろう。
また、魔王ランディに関していえばザラストロと狂言回し的な存在であるパパゲーノが合体したようなキャラクターであるといえよう。
言うまでもなく、ザラストロとランディに関しては互いに所属する団体の頂点に立っている点があげられる。
パパゲーノに関しての共通点は、ランディ首吊り場面で使用されている音楽がパパゲーノ首吊りの場面に使われている音楽と同じという点だろう。
この音楽はレクイエムでも「lacrimosa(涙の日)」のテーマとして使われている。そしてモーツァルトはこの曲を書いている途中で、病に伏し逝去している。
一見すると魔笛でのパパゲーノはパパゲーナの登場により自殺をやめたように思われがちだが、実は試練を乗り越えられなかったため、地獄に落ちているという通説がある。このメロディをランディに使用することに関しては家城氏は非常に意識をしていたのではないかと考えられる。
大まかなストーリーとして共通している点としては、1幕と2幕で善と悪がひっくり返る、この点につきるだろう。
どちらも1幕では悪だと思われていた団体が2幕で実は全く逆で、正義と善のために働いていたのだと主人公が属して気づいていく。
フリーメイソンの象徴として、光と陰や善と悪など相対するものが挙げられる。
モーツァルトはそれを意識し、魔笛では昼と夜や男と女などで表現しているが、魔王コントにおいてはストーリーの善と悪以外に相対するものは見受けられない。
<結論>
魔王コントとフリーメイソンにおける共通性をあげてみたが、関連する部分は多数あるものの、確実に決め手となる点は見つけられなかった。真実は家城氏の中にしかないのだ。
ただ、偶然にも近しくなったとしても、両者が平和を望み行動していることに間違いはない。
必要悪を使わずに、どうしたら平和な世界になれるのか。これは私たち人間の考えなければならない最大のテーマなのかもしれない。
ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」
無職期間だったのになんだかんだ大阪まで行きました。
大好きなお話だからなのか、曲が良かったのか、出演者が良かったのか、サインが欲しかったのか(笑)
全部当てはまっています。
元々小学生の頃に揶揄われながらもロミオとジュリエットを読んでいたので、お話が好きなのは本当ですが、このミュージカルに関しては、ロミジュリとWSSを足して3で割って遊び心を足したような作品だったので、もはや別物なのかなと思っています。
別物と割り切ったおかげで、現代設定もすんなり受け入れられました。「そういうものなんだろう」って思考は偉大だ。
Wキャストのシャッフルにこんなに通ったことがなかったので、恐ろしさを初めて知りました…
好みの組み合わせを求めてどんどん追加されるチケット…止まらない引き落とし…とってもこわかったです(笑)
Wキャストの皆様を中心に個人的な感想をば。敬称略です。
★死
ヤマトナデシコ七変化でめちゃくちゃ面白い人だと思っていたら今回めちゃくちゃ怖くて、宮尾さん底知れないです…
死神という感じ。踊りがダイナミックで美しかったです。カテコがこわかった。ほんとにこわかった。
大貫勇輔
お初の大貫さん。人の動きっぽくないぬめっとした動き(褒めてます)。初めて観た時世界の王での登場が怖すぎてホラーかと思いました。大貫さんの場合は、死を司るものというより、死そのものという感じ。概念そのものというか、実体がないというか。カテコは一度キレッキレで世界の王を踊ってらした記憶が強すぎて、他はどうだったか覚えていません(笑)
★ティボルト
渡辺大輔
ザ・ヒール。清々しいほどにかっこいい。妹とガストンみたいだねって話してました。
筋肉のつき方がアメコミみたいで素敵です。「強くて優しい従兄弟」の強さ担当って感じ。
大ちゃんのガストン観てみたいなあ。きっとめちゃくちゃ似合うと思います。あんまり前方で見れなくて細かいところが追えなかったのが悲しいです。
広瀬さんはちゃんと認識拝見したのは初めて…かも。後半前方席で観るようになってからはずっと広瀬ティボだったのですが、どストライク好みのお顔で焦りました。
「強くて優しい従兄弟」の優しさ担当。ジュリエットのお兄ちゃん感が強くて愛情深くて良かったなあ。
2幕、それまでと打って変わって歌う「今日こそその日」の狂い方がめちゃくちゃ良くて、すごく好みでした。
★マキューシオ
初めましての賢章先生。
第一声がめっちゃ荒い声で大丈夫か!?と思うんだけどマブの女王や綺麗は汚いなんかは綺麗な声でさすが声優。比較的安定感あるなあって思いました。
小野マキュは全体的にキャンキャンしてて子犬感強め。ベンヴォーリオのことを「ベンベンベン!!」って呼ぶのが好き。
マキュの死は、客席への魅せ方が上手。毎回あまりアドリブなど変わらなかったのが残念ですが、お忙しい方ですしやっぱり安定してるのは強み。自由くん共々今後も声優と舞台俳優を掛け持ちして観劇層の幅を広げてほしいと切に願ってます。
平間壮一
今回落ちた人がめちゃめちゃ多いような印象の平間のそーちゃん。お見かけしたのは曇天以来で、相変わらず上手だったなあ。平間キュはコンプレックスや弱さ、気品や地頭の良さなど、言葉じゃない部分での演技がとても良くて、マキューシオとして訴えかける情報量の多さに圧倒されました。
基本ラリってるんですが、その中にも色々と表情が読み取れる演技ってすごいなあ。
公演期間中は事あるごとに平間キューシオのことを思いながらメソメソしてました。
白子さんもめちゃくちゃ良かったんですが、今回はそれをかなり超えて良かった。毎回のアドリブも楽しすぎました。今年はエンジェル観れるかな、と思うので楽しみです。
★ベンヴォーリオ
共演者喰われる俳優、馬場徹(笑)
ストプレはそこそこ観てて、ばーちょんのEXILEは聴いたことあるんですが←
ミュージカルは初めてです。
歌える!踊れる!滑舌いい!
非の打ち所がないのでほんと腹立ちますよねーかっこいいなあもう。
馬場ベンは兄貴感がすごくて、私がヴェローナの民だったらモンタギューでもキャピュレットでもとりあえずベンヴォーリオに惚れてると思います。
精神的にタフ。タフすぎて全ヴェローナの民衆が彼に甘えている。彼は悲しむ間も無くヴェローナのために働き、忙殺されて、落ち着いたころ、ふとどうしようもなく悲しくなるんだろうなあと思います。
代償で、頭や肩をポンポンしておでここっつんこしてほっぺたつねってロミオに正気を取り戻させようとする馬場ベンが萌のかたまりでした。
どうやって伝えようは、広島に原爆を落とす日みたいに15分間の長台詞でやってほしい。馬場さんの真骨頂は長台詞で滲み出る熱さだと思ってるので。
トリオよりコンビ向き。ミュージカルもとても良い。しかし早くつかこうへい演って、と思いながら目をハートにして見ていました(笑)
矢崎さんにとってロミジュリは昨年から続くミュージカル俳優への道のひとまずの集大成のような作品だったのではないでしょうか。
ボブで身につけたピッチとアルマンで身につけた発声方法で健闘してました。
やっぱり安定は今後の課題だと思うんですが、本当にここ数年での成長が目覚ましく、個人的にはこのままどんどん成長していってほしいなあと思っています。
声帯が出来上がるのは30歳なので、それまでに土台を作れたのは大きいのではないかと。
矢崎さんのベンヴォーリオはその辺にいる普通の若者でした。1人の青年が大人になるまでを3時間で描いていました。
世の中の多くの人って、周りの環境が大人にさせているんじゃないかと思うんです。
何かを失って、何かを得て、環境の変化に巻き込まれることによって人は成長せざるを得なくなる。
そのリアリティをミュージカルでここまで表現できるんだなあと。
やっぱり矢崎さんのお芝居とっても好きです。
とにかく後半にかけての「どうやって伝えよう」が素晴らしすぎて。後悔と、子どもだった自分を回顧する歌。やっぱりこの人は演技の人だと思いました。観ている人の感情を動かすことがとても得意な役者なんだと思います。
個人的にはミュージカルだけの人になってほしくないんですが、彼がもっと実力をつけてこれから上がるミュージカルはどんなものになるんだろうと今から楽しみです。
★ジュリエット
アイドルいくちゃん。私は今回までお名前くらいしか存じてなかったんですが、歌がすごく良かったです。
アイドルらしからぬ歌唱力。そしてめちゃくちゃ細くて可愛い。
すごく意志の強さを感じるジュリエットでした。
私の好みとしてはもう少し柔らかい方が好きなんですが、回を重ねるごとに柔らかさも出てきて良かったです。
いくジュリはロミオを愛することより、キャピュレットから逃れたい気持ちを強く感じたので、より意志の強さを感じたのかもしれません。でもひばりの場面は母性があったし、最後のジュリエットの死はとても美しかったなあ。
コゼットよりエポ向きだったんじゃないかなあ、とか堀北真希ちゃんのような役選びの方があってるんじゃないかなあとか思うのですが、成長が速いのでレミではどうなるかとても楽しみです。
木下晴香
歌唱王でパートオブユアワールドを歌っているのを観た時に素敵だなあと思っていた高校生をまさか1年後にミュージカルで観るなんて思っていませんでした。
お芝居より歌重視で観に行ったにも関わらず、ものすごくお芝居が良かったです。
はるジュリは本人の資質と私の好みがぴったり一致した感じでした。清らかで柔らかく芯の通ったジュリエット。ひたむきにロミオを愛する姿にもはや乳母気分で号泣しました。
すごい18歳が現れたなあ…。今後も色々な舞台で拝見したいので、どうか制作の偉い方宜しくお願い致します。
★ロミオ
古川雄大
アンニュイで周りと違った空気を纏う原作ロミオ。常に死と一緒に過ごしてきたような印象を受けました。ゆんロミオは人生の出来事ひとつひとつに繊細に傷ついているようでした。振った女性に対しての罪悪感や、キャピュレットとの戦い、ひとつひとつを全て引きずって生きているのかなあと思っています。どこまでも優しく、受け入れてしまうから、ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋めてくれたのがジュリエットだったのかなあと。ゆんロミオはジュリエットといる時だけ真に生きたと言えたのかもしれないです。ジュリエットと共に死ぬこととジュリエットなしで生きること、どちらが死に近いかというと後者なのだと思っていそう。なんだかラブストーリーを超えたものを感じていました。
歌もダンスもとてつもなく上手でした。声量めちゃくちゃ大きくなったよね…?
どんなに泣いていても乱れない音程と死との踊り。いつのまにかミュージカル俳優として、座長として引っ張っていくお兄さんになっていてそういう部分にも感動してしまいました。
今回こんなに私がチケットを増やした原因のひとつは大野くんのロミオがありました。
小学生の頃の私の理想と想像を具現化したようなロミオ。キラキラプリンスでどこまでもピュアなロミオ。
言葉では語りつくせないほどに魅力的でした。
大野ロミオはモンタギューの血筋により死から目をつけられたように見えました。自分の意志とは関係なく死に突き進んでしまうような。
全力で闘って太陽のように微笑むので、毎回「もしかしたら、今回は生き延びるのでは…?」という期待を持ってしまうような前向きな陽の気に満ちたロミオ。私は大好きでした。
原作に近いかと言えばそうでもないと思うので、今後こんなに私の理想に近いロミオは現れないかもと思っています。
踊りも歌も個人的には及第点ですが、やっぱりまだまだ伸びると思うので、今後の大野くんにまた会いに行こうと思います。
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myえん○チャート2016
先ほど演劇キックを購入し(web版)、投票を済ませてきました【えんぶチャート2016】!
毎年結果を楽しみにしてますが、大体私の投票した作品がトップ10内に入ることはなく、もちろん感想なども載ることはないため、ちょっと寂しい気持ちがあるのも事実。
したがって勝手に自分が投票したランキング順にコメントしたいと思います笑
第5位【露出狂(パルコプロデュース)】
自分でもなんでこの作品がトップ5に入っているのか謎です…笑
ぶっ飛んだ設定、現実味のない展開、下ネタのオンパレードで放送禁止用語連発なんですが、なぜか関係性や人物造形があるあるすぎて頷くところばかりという。人間観察バラエティで個性が強い役ばかりなので、14人の役を観終わると大体覚えてるのがすごい。凄まじく強い力で舞台に引っ張り込まれるようなエネルギーに満ちた作品でした。この作品は今後も色んな役者さんで観たい….。前回公演観なかったのが悔やまれます。
この作品観た後に会社で「もっとチームワークを高めるためにはどうするか」というミーティングがあり、「ら…らん※※…??」という発想しか出てこなかった私にとっては、ある意味2016年現実世界に一番影響を与えた作品です笑
第4位【クレシダ】
平幹二朗さん最後の作品。それを抜きにしても今年観たストプレの中で一番でした。
詳しくは別記事にあげていますが、演劇は継承し、変化するものであると平さんの圧倒的な演技力と説得力で教えてもらった作品です。言葉にすると小難しそうですし、実際そのつもりで観に行ったんですが、とても軽妙でユーモラスな面白い作品でした。舞台全体が愛に満ちていました。橋本淳という役者がとっても好きだなあと再認識した作品でもありました。
これを機に平さんをもっと観よう!これからたくさん観たい!と思っていた矢先の出来事だったので口惜しさも想いも作品とともに強く残っていますが、この作品を観れて本当に良かったです。
トップ3は全部ミュージカルでした。
第3位【ノートルダムの鐘】
12月29日の年の瀬にとんでもないものを観ました。
アラン・メンケン作曲の素晴らしすぎる楽曲たちが好きすぎて、観る前から英語版をずっと聴いてハードルを上げていたのですが、さすが劇団四季。素晴らしかったです。
元々原作ノートルダム・ド・パリ寄りのバレエ「エスメラルダ」しか観たことがなかったので、展開については驚きはなかったです。どちらかというと訴えかけるメッセージ性の強さに驚きました。劇場から帰る電車の中でもずっと心はノートルダム大聖堂の鐘の下にいるようなふわふわした気持ちで、未だに帰って来れてません…。
ノートルダムの鐘については、また今年もたくさん観て別記事に書きたいので、これくらいで控えます。ディズニー版が好きな人、レミゼが好きな人はぜひ観て欲しいです。
第2位【キンキー・ブーツ(来日版)】
とにかく面白かったーーー!!
今でも会社に行くときはキンキー、帰る時はノートルダム聴きながら帰っている毎日です。キンキーブーツの曲は聴いていると元気がもらえるので。
自分を信じて人を愛したくなる作品。
特に泣ける作品というわけではないのにボロボロ泣いてました。
楽しくて面白くて幸せであっという間に観終わります。去年の後半はローラの強さと美しさに精神的に支えられてました。
来日版しか観れてないので三浦ローラも観たかったなあ…!再演を強く期待しています。
第1位【ジャージー・ボーイズ】
なんといってもこれ。2016年の半分はこれを楽しみに生きてました。
詳しくは別ブログにあげてますがジュークボックスミュージカルに「うーん」ってなることが多い私でもとても楽しかった。
実在するグループの話ですが、単純にひとつの物語として面白かったです。
Wキャストどちらも味わいが違って、一粒で二度美味しい的な舞台でした。
始まる前からずっと楽しませてくれた、去年のなかで1番思い入れの強い舞台です。
再演が待ち遠しい…。HPが若干リニューアルされていてそわそわしています笑
以上のようなランキングで投票しました!
次点で矢崎さんの他舞台、ママと僕たち、瞑るおおかみ黒き鴨、エンドレスショック、るろうに剣心などなどあるので、5作品しか選べないと正直あれもこれも入れたかったのに、、、ともどかしい気持ちになります。
年間50作品くらいだった私でそうなので、もっとたくさんの作品数を観てる人たちはどうやって選んでるんだろう…笑
3月の結果発表を楽しみに待っています。
スカーレット・ピンパーネル
東京公演と東京凱旋公演を観に行きました。
<あらすじ>
1789年、王制に対する不満を爆発させた民衆が蜂起し、フランス革命が勃発。その後、ロベスピエールを指導者とするジャコバン党が権力を振りかざし、元貴族らが次々と処刑される恐怖政治が続いた。
嵐が吹き荒れる混乱の中、無実の人々を断頭台から救おうと立ち上がったのは、イギリス貴族のパーシー・ブレイクニー。
彼は仲間と共に「スカーレット・ピンパーネル」を結成し、知恵を絞った救出計画を秘密裏に敢行。その活躍ぶりは瞬く間に広まったが、女優を引退しパーシーの妻となったマルグリットでさえも正体を知らず、いつしか夫婦の間に大きな溝が生じていた。フランス政府特命全権大使のショーヴランは元恋人であるマルグリットに接近。ある取引をチラつかせながら心のうちを熱く、甘く語りかけ、ピンパーネル団の素性を暴こうと執念を燃やす。
愛を疑うパーシー、愛を信じたいと願うマルグリット、愛を利用するショーヴラン。恐怖政治の嵐の中で愛憎が交差し、物語はスリリングな展開をみせてゆく…。
<感想>
フランス革命のその後の話をイギリス側から描いた作品。
1789観たし大丈夫でしょうとタカをくくっていたら、意外とついていくのが大変でした…
東京公演と凱旋公演の間に安蘭様の宝塚版スカーレット・ピンパーネルをDVDで拝見してとっても補完されたので、ちょっと腑に落ちなかった方は宝塚版観てください。安蘭パーシーがイケメンすぎて鼻血出ます。
基本的にはパーシーとマルグリットにショーブランが入り込んで過去と秘密に翻弄される三角関係が中心になっています。
設定が美味しすぎて、すごくごちそうさまだったんですが、あんなに歌多かったのに何故か関係性や想いなどが見えにくかったなあ、と。
歌→芝居→歌っていう切り替えがショー構成のように見えて、あんまりハマらなかったのかなあって思います。
あと、単純にショーブランの歌の方が好みだったのもあります。マダムギロチン好きだなあ…!
「ひとかけらの勇気(悲惨な世界のために)」や「炎の中へ」「あなたこそ我が家」も名曲ですけどね!ただ、曲の使い方が宝塚版の方が好みだったのもあり、余計にショーブランやロベスピエールのいわゆるヒールの歌の方が素敵に思えてしまいました。
でもお話は勧善懲悪ものだし、サクッと楽しく観れました。時代ものに勧善懲悪なんてあるのかなっていう部分もありますが、ロベスピエール側からも描いていたのも良かった。
あと、とにかく全員歌うまですし…!!
石丸さんも石井さんもとにかく歌うまですし、安蘭さんは美しくて歌もいい…!
安蘭さんのお顔立ちがすごく好きで途中からマルグリットに心奪われすぎてました。
そして矢崎さん演じるアルマンと安蘭さん演じるマルグリットが、もういっちゃいちゃ姉弟で!!
アルマンがマルグリットの結婚に付いて海を渡ってイギリスで暮らすことからも分かるように、2人は2人だけで生きてきたんだなあ、という印象をすごくうけました。なにかあるとすぐ抱き合うし、「1人にしないで!」とアルマンに言っちゃうし、『あなたこそ我が家』を2人で歌っちゃうし、マルグリットが助けに行っちゃうし。2人は2人だけで助け合って生きてきて、2人ともがパーシーを好きになったから出会って6週間でイギリスに渡ったんだなあ、と思います。
韓国ドラマの『華麗なる遺産』のウンソンとウヌみたい。日本ではあまり考えられない関係性ですが、外国だとアリなんでしょうね。
アルマンが超かわいくて…!これはほんと贔屓目なしに可愛かったです。
いつも言うように矢崎さんの間の取り方がすごく好きなんですが、アルマンはそれが存分に発揮されてました。
基本的には男らしく勇敢であろうとしながら、ちょっと(かなり?)ぬけてる愛らしい役って、言葉にすると想像できないですね笑
今年は弟(分)な役が多かったので、すっかり板についているなあ、と。
ビジュアルもめっちゃくちゃ好みでした…!本当ありがとうございました…!
あと、特筆すべきは歌!!!JB以上の成長を遂げていて、誰ですかこの方状態…!!
発声法自体かなり変わった気がします。
安蘭様との「あなたこそ我が家」は短かったけど、記憶から失いたくないくらい素敵でした。
アルマンはピンパーネル団としているのですが、序盤以外はそんなに共演シーンはなく、ピンパーネル団の若手たちもたくさん凝視できて、目が2つしかない身としては助かりました笑
基本的にちゃんともやもっくんを見ていたんですが、上口くんが素敵すぎていつも目を奪われていました笑
ポージングの1つ1つの美しさ、目線の使い方が上手すぎて…!!
ピンパーネル団は出番としては満足なんですが、もう少しキャラクターを知りたかったなあ、と。
もっと出番の少ないロベスピエールの方が印象づけられたので…
しかしその分フリーダムなアフトクはとんでもなく面白かったんですが!
お話的には小池先生監修の宝塚版の方が好みなので、ぜひ観に行ってみたいと思ってます。
完全に思惑に嵌められてる感じはありますが…笑
季節が僕たちを連れ去ったあとにー「寺山修司からの手紙」山田太一編(岩波書店刊)よりー
<あらすじ>
寺山修司と山田太一が過ごした学生時代、寺山は19歳で腎臓の病気(ネフローゼ)を発病し、入院していた時期に交わされた2人の書簡集。
それから季節は変わり、2人は大人になり、別々の道を歩み…
最後にひととき、またかけがえのない時間を過ごします。
若者たちでなければありえなかった、創造するエネルギーの入り口で出会った2人の永遠の時間。
<感想>
正直なところ、寺山修司さんも山田太一さんも作品名を聞いたことはあっても実際拝見したことのない方々のお話だったので、とてつもなく不安な気持ちで挑みました。そして序盤の本の引用が多用された手紙の部分から、内容を全て理解をすることは諦め、ただただ2人がどういう心情で過ごしていたのかを感じ取ることに専念していました。
在学中ネフローゼに侵されて入院している寺山と、その見舞いに来て話足りずに手紙のやりとりをする山田。2人の友情と青春を書簡を元に構成されていたのですが、その構成がとても良かった。
私のようにお二方をミリしらで挑んできた人間にも極力分かりやすいように構成されていたなあ、と思います。
山田さんと未知さんが寺山さんを思い出すように始まる序盤から、大学時代へと時が戻り、時系列に沿って2人の気持ちの流れを、実際の書簡や寺山さんの初期の作品、日記を組み合わせて辿り、社会に出た2人の関係性を現在の太一さんと未知さんの回想で描き、寺山さんへの弔辞で閉幕します。
観終わってから原作本を読んだんですが、このエピソードが飛び飛びな本が綺麗に1つの作品として構成されてたなあ、と演出の広田さんに感心しっぱなしでした。
手紙のやり取りが主ですし、前半は寺山の病気の話と思想や恋の話が多いので静かに話が展開されていました。この辺が本の引用や大学の友人の話などが見えなかったため、一番理解が難しいところだったんですが、山口さんも矢崎さんもとても感情豊かに読まれるので、落ち込んでいたり、怒っていたりしながらも互いを大切に思っていることが節々に伺えて微笑ましく見ていました。
喧嘩のあとの仲直りの仕方や、手紙が来ないことへの不満の伝え方が回りくどくて可愛いなあ、と。
ぐっと引き込まれたのは、太一の自殺未遂の場面からです。
「僕は、乞食のようなんだよ」と言う台詞にぞわぞわと鳥肌が立ちっぱなしでした。やっぱり矢崎さんに劣等感のある役柄を演じさせるとピカイチだなあと思います。
太一のホンモノが隣にいる劣等感や焦燥感は本当に痛いほど伝わってきて、それは社会人になってからの場面でもそうでした。
上下の差はあったけれど、大学という同じ箱で同じことを学び、同じものを目指し、創作し、その時は確かに隣にいた友人と、社会に解き放たれてから同じステージに立てなくなる恥ずかしさに共感し過ぎて心臓が痛くなりました。学生の時に話していた内容と比べて社会に出てからの自分の発言のなんと俗っぽいことか。もしかすると私自身がモラトリアム期間が長かったので、より痛かったのかもしれません…笑
『人間ってのはもっとすばらしいもんだ。自分に見切りをつけるな。人間は給料の高を心配したり、電車がすいてて喜ぶだけの存在じゃないんだ。
その気になりゃあ、いくらでも深く、激しく、ひろく、優しく、世界をゆり動かす力だってもてるんだ。』
という台詞が大好きすぎました。語る山口さんは全く台本を見ず訴えていて、もはや朗読劇ではなくて劇中劇でした。
このドラマ見たいです。
最後の山田さんの寺山さんへの弔辞の場面でこれまで淡々と受け止めていたのに突然こみ上げてきてしまい、ポロポロと泣いてしまいました。
矢崎さんの太一のこの場面が絶品で…
真っ直ぐ前を向いて涙を流しながら弔辞を読み上げる演技に、途中ではたと「これは演技…なんだなあ…」とちょっとだけ恐ろしくなりました。
本当に弔辞をお葬式で聞いている感覚になってしまっていたからなんだと思います。
山田さんが「じゃ、また」と弔辞をしめる時の後ろにいる寺山さんの表情と、その後山田さんが寺山さんに笑顔でハグをしに行き、笑い合う2人が愛おしく、本によって結ばれた一生に一度巡り会うかのような関係に少し羨ましさも覚えました。
また、個人的に利害関係で結ばれた友情なんてくそくらえだと思っているタイプの人間なので、そんな私と一緒にいてくれる今の自分の周りの人たちを大切にしたくなる素敵な作品でした。
矢崎さんにも時々書いてますが、色々な人に手紙書こうとも思いました。手紙は財産になりうるのだな、と。
ちょっとだけ物申すなら、2人の濃密な人生を2人の役者だけでじっくり観たかったなあ…と思います。単に私の小劇場アレルギーが出てきただけとも言えます(笑)。
山口翔悟さんは初めてお見かけしたのですが、とても端正なお顔立ちで素敵なバリトンボイスで、読み方も心地よくって、良い俳優さんだなあと思いました。コミュニケーション能力が低く、人との距離の取り方がおぼつかないところが、天才肌あるあるでとても良かったです。
矢崎さんは「寺山さんは四十七歳で亡くなり、私は八十一歳になってしまった」という印象的な台詞から始まり、その後作中で2回繰り返すんですが、その言い方が全部違い、あまりにも自然にしっくりときているので、噛み締めるように堪能させていただきました。
やっぱり彼の間の取り方は凄いです。観客の笑いや引力を操ることができる。難解な台詞を「読む」のではなく「伝える」ことができる。
やっぱり彼の演技が大好きだなあ、と改めて気づけた公演でした。いつも言ってますが…(笑)
普段生活していると、どうしても自分の好みのものや愛着のあるものが生活の中心になっていって、もちろんとても心地よいんですが、矢崎さんから色々な知らない世界に連れていってもらえるのがとても楽しかったりします。
寺山修司と山田太一という、命を燃やすように生きた2人を知れて良かったと思いました。
トライストーン制作はとっつきにくい話を丁寧に作ってくれるので、これからも楽しみにしています。