sognamo insieme

君を夏の日に例えようか

Shakespeare’s R&J~シェイクスピアのロミオとジュリエット

大好きなロミオとジュリエットを1年ぶりに大好きな矢崎広さんがするというトライストーンの粋な企画です。

前回はベンヴォーリオでしたが、今回はロミオ。若い頃にしかできない役かなあと思っていたので、このタイミングで観れて嬉しかったです。

〈あらすじ〉

厳格なカソリックの全寮制男子校の寄宿舎で暮らしている4人の学生。

彼らは夜になるとこっそりベッドから抜け出す。

読むことを禁じられたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のリーディングが始まる。

「さあ、夜の世界の幕開けだ!」

秘密の遊戯が始まるうちに、見つかってしまうのではないかという不安に怯えつつ、彼らはこの遊びをやめることができない。

そして彼らは4人だけで配役を分け、この芝居に熱中して演じていくうちに・・。

「ゆうべ夢をみた。夢を見た…夢を見た…」

〈感想〉

学生とロミオとジュリエットの世界の二重構造(もしかしたら三重構造)になっており、学生でありながらどんどんロミオとジュリエットの世界の人間にのめりこんでいく、という設定。どこまでが学生の演技でどこから役に入り込んでいるのか、それは役者によって回によって異なる感じを受けました。学生たちが自らの台詞を話すことはなく、いつも何かの誰かの言葉や演技を通して自分の感情や迷いを表現していたのが斬新な表現でとても面白かったです。

観客に伝わりにくいかというと全くそんなことはなく、むしろ学生たちが読んだままの印象で台詞を話しているので生きた台詞となって私たちに伝わり、普通に聴くより分かりやすいほどでした。これにはもちろん松岡和子さんの訳にもかなり助けられていると思いますが。

ロミオとジュリエットの話よりむしろ学生たちの関係性の方が、観る人によって印象が違ったのではないかと思います。下記にてそれぞれの印象を書いていきますが、多分観た人により少しずつ違うので主観だと捉えていただければ。

学生1(矢崎広)

この夜の抜け出しの首謀者であり、リーダー。

ロミオとジュリエットをやりたいと言い出したのも彼。のめり込みやすく、元々シェイクスピアに心を奪われていたんだろうな、と思います。ルールを破る思春期の喜び、というよりロミオとジュリエットが憧れで、一度やりたくて規則を破った、という印象が強いかも。

ロミオに自分を重ねていき、1が役と自分が分けられなくなればなるほど、観てるこちらもロミオとジュリエットの世界に入り込む不思議。

後半のジュリエットの死〜霊廟の場面が最高に好きです。たまに冷静さを取り戻そうと足掻く回もあれば、完全にのめり込んでいる時もありました。どちらにせよ、あまりにも良い声で痺れていました。また、前半のジュリエットの出会いで、熱っぽくなるのも良いし、ソネット18番を訥々と語る場面も大好きです。

最後は夢から醒めた学生のままの1なのか、大人になった1の回想(三重構造)だったのか、それとも全て現実なのか…答えは色々だったように思います。

わたしは彼の演技の熱が温度が大好きなんですが、シェイクスピアだとそれが大爆発していて至高の時間を過ごせました。いつも言ってるんですが、いつかハムレットを演っていただきたい…。なんにせよ、またシェイクスピアを演じる矢崎さんが観たいです。トライストーン様よろしくお願いします。

学生2(柳下大)

演技力と女性役に定評のある大くん。学生2は主にジュリエットなんですが、分かりやすくに女性っぽい演じ方をしていないのにどんどん可愛らしいジュリエットに見えてくるのが不思議でした…すごい…。

学生2はこのグループ内で少し雰囲気の違う子なのかなあと。少し一匹狼の風格もあり、マイペースな部分もあるなあと思っていました。のめり込んでいたのに最後の最後に戻れた子なのかなあと思っています。その度合いが日によってちょっと違うのが面白かった。最後パックの台詞を言って学生1を絶望させるのですが、ガンガン泣いていた回が個人的には印象強かったです。

学生3(小川ゲン)

1番わたしがこじらせた学生3です。

学生1が初めに起こして、初めに抜け出そうとけしかけたのは学生3なんですよね。マキューシオに指名されて喜んでいる姿や、1と2がお互いに夢中になっているのを腹ただしく思っている姿が何を考えているのか3の1への感情が気になってしょうがなかったです。

結婚式の場面、3が神父様の役を抜け出して暴走して1を殴るのが印象的でした。

その後ソネットを読んで思い直すのですが、ロミオの誓いと同様ソネットはみんな諳で読めるという事は、学校で授業があるんでしょうか?ありそうな気もしますが詳しい方教えてください。

ゲンくんは初めて舞台で拝見したのですが、演技も歌も良いし、イケメンだし笑、穏やかで良い役者さんだなあと思いました。

学生4(佐野岳)

岳くんといえばアクロバットという印象だったのですが、それを全て封印して挑まれていたのが驚きでした。そして同時に演技にも驚き。乳母で会場中の笑いをかっさらっていました。4はどちらかというと一歩引いたところでこの芝居がうまくいくように冷静に動いていた人物だと思います。バルコニーの場面では演出もしていたり。みんなの仲裁役で見守りながらも冷静、そして面白い。合コンで選ぶなら絶対学生4、と帰りの居酒屋で満場一致でした。

本人の魅力と4の役柄がうまく融合していたなあ、と思います。

いかんせん古典なので全く難しくないというと嘘になりますが、去年たくさんミュージカルロミオ&ジュリエットに通っていた私たちファンにとって、ロミジュリはとても身近な物語になっており、ベストなタイミングだったと思います。

いつもちょっと難解なトライストーンの舞台ですが、とっても楽しいのでぜひ定期的に演っていただきたいです。

人間風車

2017年ベストオブベストでしんどかった舞台。怖い話グロい話が苦手な私にとっては推しがいなかったら絶対に足を運ぶことはなかった舞台だったので、「人生は何事も経験」だと思っている身としては楽しくもありました。

 

〈あらすじ〉

売れない童話作家の平川が披露する奇想天外な童話に、近所の子供たちは大はしゃぎ。けれども、童話の登場人物や題名はレスラーの名前、テーマも"三流大学出身より高卒の方がまし" だから、子供の親からはクレームばかり。

 公園に集まる子供たちの中には、へんてこ童話の主人公になりきって現れる奇妙な青年・サムがいた。

 ある日、平川はひょんなことからTVタレントのアキラと知り合う。その出会いは平川の作風にも大きな変化をもたらしていくのだが…

 

www.parco-play.com

 

〈感想〉

 

序盤からしばらくずっと平川の楽しい童話の世界と平川とアキラの初々しく微笑ましい恋の話です。この部分がとても楽しく、面白かった。

平川の童話は残酷だし教訓もずれているけれど、へんてこで可笑しいので、イギリスとか西欧でウケそうだなあと思っていました。小さい頃読んだイギリスの民話はそういう話が多かった印象です。今は親の顔色を伺った話しかウケない、と断言する国尾にそんなもんなんだなあと思ったり。

童話の世界を役替りでみなさんて演じていくのですが、これがとても面白かった。矢崎さんのやった2作もひょうきんな演技の魅力が十分に活かされていて楽しかったです。小杉だけだと多分心が死んでました笑

最初のが個人的には1番好きだったかなあ。良知くんと矢崎さんの軽妙な掛け合いと堀部さんのツッコミが楽しかったです。全部タイトルがプロレス技なので全然覚えられないのが悲しいところでした。

 

平川がオロの話を作ったところから話はどんどん不穏な展開になっていきます。ここからがしんど過ぎました。休憩がなく、ひたすら休みなく観るのでジェットコースターを下るような恐怖を体感しました。

ラストまで一切救いなくひたすら残酷な話です。サムを使って鬱憤を晴らす平川にも、平川にバレて謝る国尾にも、最後までアキラに謝らない平川にも腹立ちながら観てました。最後まで平川に同情できないままだったんですが、それは平川に自分を少し被せたのかもしれません。

なかなかの問題作だと思うんですが、エンタメとして物凄い完成度だったので、観れて良かったと思っています。

 

平川役の成河さんはなんでもできるパーフェクト俳優だと思っていて、平川も本当に凄かったです。大人になりきれない子どもと狡猾な大人の部分が見え隠れする平川に真剣に腹が立ったのもきっと成河さんの実在するかのようなリアリティのある演技力なんだろうなと思います。

ミムラさんの透明感と加藤諒くんのピュアな姉弟も素敵でした。松田凌くんたちの子どもチームは凌くん以外みんな子どもと親を兼任しているんですが、これがすごくて。毎回オペラグラスで覗いてました。どちらも全く違和感がないんですよね。女優さん、俳優さんのすごさをまじまじと実感しました。

良知くん、あまりにもイケメン。国尾ほんとに許せないんですが、最後謝る場面が可哀想でなんか…許しそうになる…。許してしまう平川と反対にわたしは許さないぞ、と毎回心を鬼にしてました。

そして推しの矢崎広さん。

小杉は初めてここまで嫌な役、感じ悪い役を舞台で観たのですがめちゃくちゃハマっていました。これからもぜひ観たいです。軽薄で上から目線で嫌なやつなんだけど、こういう人いるー!っていう。わたしの周りにもめちゃくちゃいるような気がします。このナチュラルさは演出の河原さんのなせる技、というか…。河原さんと組むと矢崎さんはよりチャレンジする役柄が多いような印象を受けます。新たな一面が見れて楽しいので今後も定期的に組んでいただきたいです。小杉は感じ悪いけどこの作品の登場人物においては最初に殺されるほど嫌なやつではないと考えています。

 

この公演に通ってる間(といっても3回が限界でしたが)7万盗まれたり、子どもが頭から落ちる場面を目撃したり…。世の中が平川の気持ちを体感しろ、と言っているようで怖かったです。人生にどんなことが起きても、罪を憎んで人を憎まず精神を保とう…と思いながら観ていました。

モマの火星探検記

あけましておめでとうございます。

バタバタしていて、一度会報までに感想が書けなかったので、そのまま放置してしまいここまで時間が経ってしまいました。

このままDVDまで待とうかとも思ったのですが、それはまた感じが変わってしまうかなと思い今更ながらつらつらと書きます。

2012年に少年社中で行われた舞台の再演。今回が初見です。

 

<あらすじ>

宇宙をめぐる2つのストーリーが交差し絡み合い「宇宙とは何か?」を解き明かしていく。

 

《モマの物語》

宇宙飛行士のモマは、父との約束を果たすために人類初の火星探検に挑む。

 

「人間はどこからきたのか、なんのために生きているのか」

火星に向かう旅の中でモマはその意味を考え続けていた。

 

そんなある日、モマの前に「幽霊」が現れる。

驚きながらも奇妙な出来事を受け入れる中で、

モマは少しずつ人間が生きる意味について考えていくのであった…。

 

《ユーリの物語》

北の国に住む少女ユーリの父親は宇宙飛行士だった。

彼女が生まれる前に人類初の火星探検に旅立ち、帰らぬ人となったという。

ユーリは行方不明となった父親にメッセージを送ろうと、仲間と小型ロケットを作り始める。

やがて、失敗を繰り返すユーリの前に一人の「幽霊」が現れる。

幽霊はユーリに問いかける。

「宇宙の境界線はどこにあると思う?」

その姿にどこか懐かしさを感じたユーリは、幽霊との対話を繰り返しながら、仲間たちと小型ロケットを完成させる。

 

果たして、時空を超え、モマとユーリの思いは交錯するのか――。

 

<感想>

宇宙を通して地球、そして生きることを考えた話でした。前向きで夢に向かってキラキラしているモマ含む宇宙飛行士たちに宇宙への憧れを見ながら、隣の人、周りの人のことを考える。そんなお話でした。

夜空って、どこまでも広くて神秘的で、小さい頃悩んだり悲しかった時、1人でベランダでよく眺めていたのを思い出していました。

その憧れのまま、宇宙飛行士たちが空に飛び立っていることにまず驚きました。

とてもピュアで、ただ宇宙の新たな発見を求めて飛び立つ。何か起きても最後まで前向きな姿勢は、私が今まで見たことない人たち、考え方で自分にできるできないは置いておいて、とても素敵なことだなあと思いました。

 

あまりSF要素はないので、私のようにSFってなんぞやくらいの人でもとても楽しく観れました。DVDぜひぜひ。

話をネタバレなしでまとめるのが困難すぎるため以下、出演者ごとのネタバレ感想。(ゲストメイン)

 

矢崎広(モマ)

あまりにも本人と境遇が近すぎてどこまでが矢崎さんなのか分からなくなるくらいモマと一体化していたように思います。でも、よく考えたらやっぱり矢崎さんこんなにポジティブじゃないし、いじられキャラでもない(打合せのない前振りに弱い)な、と思うので自然すぎたからだろうなと。

モマは本当に夢に一直線で、前向きで、でも迷いや悩みもあって。私たちと同じ、等身大で話を進めてくれていました。

途中まで本当に明るく、日常の場面が多く進んでいくのですが、1番最後、火星に取り残されてしまう場面からが、矢崎広の真骨頂でした。

個人的には奥さん(彼女)のイリーナの気持ちも理解できて余計に悲しかったです。彼の「絶対帰るから、まってて」という台詞がキラキラしすぎていて、信じたくなってしまう。待つことを諦められなくなってしまう。ある種残酷な場面でした。ただ、どんなに絶望的なことがあっても、最後まで希望を捨てないモマに宇宙飛行士という人間の本質を見た気がします。

示すエピソードは他にもあって、カムイがモマを置いて飛び立つ場面でモマが笑顔で「いってらっしゃーい」という場面。いつもここ泣いてたんですけど、千秋楽はその後ポロっとこぼす「よかった…」で涙腺壊れました。モマはなんて優しくて強いんだろう。どんなに悲しいことがあっても、その中に一筋の光を見つけることができる。宇宙飛行士が楽天家だというのはそういうことなんだと思いました。

個人的にですが矢崎さんが結婚してすぐだったため、プロポーズ大作戦の場面は笑いながらちょっと心臓が痛かったのです。しかし本人の結婚がなかったら私はモマの結婚についてどう思ってたのかなと思ったりします。多分「まだ若いかなー?」とか「もう少し年を経てからでも良かったかも」とか思ったかもしれない。そう思うと、こういう役に挑戦できる幅を得たことは矢崎さんにとってとても大きいのかもと思います。

私はというと、この舞台が始まる前にこじらせ過ぎて「ファンと俳優という関係性の行き着く先はなにか」という問いを1週間くらいうーんうーんと唸っていて*1、でも矢崎さんがモマとして「人間はどうして生まれ、なんのために生きていくのか」って言った瞬間に好きーーー!愛してるーーー!!って冒頭ものの5分で切り替わる単純なオタクでした。この関係性の先に何もなくても、今私が幸せを得られる。これってとても大きなことなので、これからも応援していきたいと思います。

 

生駒里奈(ユーリ)

生駒ちゃんはこの舞台で知った方です。体当たりな演技をする方だな、と思いました。私はこういう演技力や技術うんぬんではなく本人の気質がぴったり合ってすごい爆発力を見せる場面に遭遇すると鳥肌が立つほど感動するのですが、生駒ちゃんはまさにそれでした。僕っ子で優しいリーダーで、素直でまっすぐで夢に一直線で愛に溢れている。素をよく知らないけど、本人の魅力がぴったり合わさるようなお芝居でした。子どもたちみんな回を重ねるごとに愛着がわいてしまって、どんどん最後が泣けてきました。おじさんとの掛け合いもテンポ感も良く最高でした。

ユーリと母イリーナとの衝突は、私もこんなことあったなあと懐かしく思ったり。最後は応援してくれるんですよね、やっぱりお母さんだから。生駒ちゃんは今テレビでお見かけしても応援したくなっちゃうので、無事乃木坂で推しメンとなりました笑

 

・松田岳(ガーシュウィン)

これは物凄い奇跡なんですけど、矢崎さんと共演を果たしました。これだけで毛利さんに圧倒的感謝で、またまた役が素晴らしすぎて圧倒的感謝です。

宇宙飛行士仲間の1人で、モマのプロポーズ大作戦を決行したり、最後の火星の場面で多分最もモマに対して後悔を抱く役。

この2人の共演だけでも素晴らしいのに、2人の場面が(謎に)多くて毎回会場内の温度を上げてました。

プロポーズ大作戦はがっくんと矢崎さん2人がいつも距離感が近すぎて可笑しかったです。この場面、ひたすら矢崎さんが笑いをぶんどっていくのですが、がっくんは笑いを堪えるのに必死そうでした。

岳くんは私の知る限り非常に矢崎さんのことが好きみたいなので、ファン、毛利さん、岳くん3者にwinwinでした…!(矢崎さんがどうかは分からないですが笑)

岳くんの魅力といえば、武骨な体躯から生み出される女性のようにしなやかなダンスがまず挙げられると思うのですが、今作ではダンスでそれをいかんなく発揮していました。オープニングのソロや中盤のダンスなんかは最もたる例で。目を引く身長でとてもポージングが綺麗なのでどうしても見てしまうんですよね。岳くんの魅力全開の舞台でした。

ちなみにガーシュウィン毛利衛さんの小説には出てこない、少年社中オリジナルのキャラクターなのですが、どうして名前をガーシュウィンにしたかというと毛利さん曰く「僕の一番好きな作曲家だから」だそうです。宇宙飛行士はモマ以外みんな作曲家だったり、陸の宇宙関係者はみんなSF作家だったり。名前の関連性を見つけるのも楽しい舞台でした。

 

鎌苅健太(ミヨー)

けんけんは何故か8〜9月にのみだけ観劇するという妙な周期を3年くらい繰り返しています。毎回思うのは、彼はとてつもなく演技が上手いということ。上手い下手は個人の感覚になってしまうので、私好み、といった方がいいかもしれませんが。今回もツッコミだけど温かい、人柄の見えるステキな役でした。なんでもない台詞が間の使い方で会場内の笑いを攫うんですよね。芸達者だし、本人の魅力で裏打ちされている部分もあるのかなあ。動きもいちいち素敵で周りからは「アイツ、けんけんに落ちた」と思われても仕方ないくらい、公演中はけんけんの演技を絶賛し続けてました。来年も夏から秋で観れるかな。期待を全く裏切らない、観に行く舞台にいると嬉しい役者さんです。

 

谷口賢志(ホルスト)

ホルストとジュピターの話が、恐らくこのお話の中で一番みんな泣いてしまう場面だと思います。

ホルストさんは優しく、温和で学識のある人。つい耳を傾けたくなるような、そんな役でした。超新星爆発については今もたまにふと考えます。遠い遠い宇宙が少し身近になるような気がして。

ジュピターはもう可愛くて可愛くて。幽霊というファンタジーが、ここに差し込まれているのですが、宇宙だし、そういうこともあるのかなと。

谷口さん、アドリブ劇が素晴らしすぎて毎回大爆笑でした。はじめましてでしたが、すごい役者さんだなあと思います。

 

・輝馬(タケミツ)

輝馬くん、今まで2.5次元舞台でしか観たことがなかったのですが、ここまで出来るなんて…!たしかに年齢より上の役が多めな彼ですが、この幅広い皆をまとめあげ、船長としてリーダーとして立てる手腕にびっくりしました。落ち着いて、包容力のあるある種達観している人。宗教観もなにもかもを受け入れて祈ることのできる人。それを20代で違和感なく演じられる凄さ。驚きです。

タケミツ船長の、起きたことをそのまますべて受け入れなさい、といった趣旨の言葉が好きです。憧れという名のちから、という言葉も好きです。色々と感じ取れる言葉を使う役だったように思います。

ちなみに、私は毛利さんが自作「ハイレゾ」とこの毛利衛さんの作品に共通点を見出したのは、この役名の元でもある武満徹の「小さな空」がハイレゾのとても大事な場面で偶然にも使用されていたことがきっかけなのではと勝手に推測しています。

 

・鈴木勝吾(テレスコープ)

ロボットです。彼が得意中の得意(だと勝手に思ってる)ロボットです。出番はそんなに多くないですが、カーテンコールまでずっとロボットなのでかなり目を引きます。勝吾くんって関節の柔らかさ変えられるのかな、と思うくらい関節の動きが制限されていて、あとほとんどまばたきもしていないです。以前ロボロボにてその凄さは分かっていましたが、改めてすごいなあ、と。途中から人間ということを忘れていました。マイクロスコープ岩田さんとのかけ合いも毎回楽しくて、モマを多分一番いじる二人組だったと思います。

そんな2人ですが、最後一緒に火星に取り残されてしまう場面でモマに「生きて。生きよう。」という台詞があります。東京始まった頃はここは結構あっさりしていて(ロボットだし)、それでもうるうるきていたのですが、後半から少し声が震えていて。ロボットとして、演技として正解なのかわたしには分かりませんが、その辺りから毎回この場面がだだ泣きしてしまうようになりました。1人と2体のロボットには確実にインプットされた機能以外のなにかがあった。そう予感させるような演技に変わっていて、やっぱり好きな役者さんだなあと思いました。

 

井俣太良(おじさん)

この話の裏主役はこの方だったのではないかと。全ての物語の始まりであり、終わり。みんな彼から発信されて動き出した感じがあります。基本的にみんなを導いているので、聴く側に回ることが多いのですがそれでもめちゃくちゃ魅力的でした。茶目っ気あふれる生駒ユーリとのやりとりが本当に息ぴったりで楽しかったです。ここが楽しいだけラストが泣けて…。

「人間はどうして生まれなんのために生きているのか」

「地球と宇宙の境目、どこまで上に行ったら宇宙なのか」

おじさんが2人に質問した答えはぜひDVDで。

 

物語の最後はとても悲しいのですが、光り輝いていて。

観終わった後の満足感がさすが少年社中でした。

この話はいわゆるバッドエンドなんですね。でも私は昔月に行ったら浦島太郎になる、という話を聞いたことがあって。相対性理論やらでよく理解していないですが、時間軸が違うので、宇宙では歳の取り方が緩やかになるかもしれない、という説です。宇宙飛行士になったユーリがほんとうに火星に行って、もしかしたらあのラストの場面は現実になるのではないかと個人的にはまだ希望を持っています。

*1:完全に結婚発表後にりさ子のガチ恋俳優沼を観たせいです

朗読劇 陰陽師〜藤、恋せば篇〜

矢崎広さんの回を観に行きました。

岡本さんの朗読劇は3種類目。といっても矢崎さんは岡本さんの朗読劇をコンプリートされてるので、一応全て観ていることになります。

しっぽのなかまたち、私の頭の中の消しゴムとはまた雰囲気の違った朗読劇。岡本さんの演出は元々かなり好きなんですが、この陰陽師が一番凝っているように感じました。

矢崎広さん、石橋直也さん、山村響さんの組合せでしか観ていないのですが、本当は演出が全然違うという陽公演も観たかったです。新馬場で当日券チャレンジに惨敗したので諦めました…。

実は小学生の頃から大好きだった陰陽師の世界に矢崎さんが入るということで、ワクワクが止まらなかったこの公演。推しの狩衣姿なんて観れるファンはそんなにいないと思い、ありがたく拝みました。

陰陽師用語に馴染みがあった割には今昔物語から始まる夢枕獏先生の作品は私の耳にはなかなか難しかったようで、2回目からしっかりと集中して観れた気がします。

玄象という琵琶が何者かに盗まれ、羅生門の上で見事な演奏を毎夜聴かせている。晴明と博雅と蟬丸で解決するため、現地に向かう道中に晴明たちは昔遭遇した不思議な事件について蟬丸に話して聞かせる…という構成。後ろに実際に雅楽が演奏されていて、障子が並んでいるシンプルな舞台セットでしたが仕掛けがたくさんあって楽しかったです。

とにもかくにも山村さんの声が陰陽師の世界観にぴったりで。深くしっとりとした声に導かれて平安の世に連れて行かれた気分になりました。

百鬼夜行の話、鮎の話、玄象の話と大きくわけて3つの話を中心に進むのですが、中盤の鮎の話の山村さんが素敵すぎてそこから後半は一気に引き込まれました。

一番声色を分けて演じなければいけない役どころだったと思います。その演じ分けが見事の一言につきました。

石橋さんの博雅は私の思っていた博雅より運動ができそうな印象で(笑)

でも素直で真面目で嘘がつけない男で、そこはイメージぴったりでした。

博雅という人は、晴明にとってどれだけ貴重な存在なんだろうと思います。晴明は全て見透かしていて、なんでも分かっている。そんな中であけっぴろげにイイヤツな博雅はかけがえのない存在なんだろうなあ、と思いました。

石橋さんと矢崎さんは舞台俳優同士で相性が良かったなあと思っています。

矢崎さんの演じる晴明は、飄々としていながらもどこか驚いたり怖がったりしているところが見受けられました。もっと表情や考えていることが見えないイメージだったのですが、少し身近に思える晴明だったように感じます。だからこそ、博雅との関係性や蜜虫が消されてしまった後の切なさがより伝わるような気がしました。

前半は特に、あまり見たことのない飄々とした矢崎さんで新鮮でした。声も落ち着いていて美しかったです。しかし後半から少しずつ熱い演技が混じっていてとても好きでした。

少し人間らしさが滲む晴明だからこそ、博雅や蜜虫のことが大切なのだなと思えたし、孤独で優しい人なのだと感じました。

今回の陰陽師では「名前」が大きなキーワードになっていました。私たちはこの世の全てのものに名前をつけている。そしてその名前に縛られている。本当にそうなのかもしれないと思います。

名前があることで他の誰かと共有できる。だけど、それが私と貴方で同じことを指しているとどうしてわかるんでしょうか?それは名前という呪に縛られているからかもしれない。そんな不思議な気持ちになりながら劇場を後にした公演でした。

初日は特に色々と起きて、DVDがどうなっているのか少しドキドキですが、呪と朱の世界をまた観れるのを楽しみに待ちます。

りさ子のガチ恋♡俳優沼

何かに必死で生きていることは、側から見ると滑稽でしかないかもしれない。それでも私は今を必死に生きていく。

 

Twitterでは書ききれなかったので、ブログにしたためることにしました。

奇しくも推しが結婚して1ヶ月が経って、ようやく自分を外から見つめられそうなタイミングで観ることができたこの公演。

感想としては、観ることができてよかった。救われた。それだけです。以下ネタバレ。

 

【ストーリー】

26歳、彼氏なし。OLりさ子の趣味は舞台観劇。

大好きなイケメン俳優しょーた君を追いかける日々。

彼が出演中の2.5次元舞台『政権☆伝説』に大ハマリ中。

 

最前席で全通。グッズもコンプ。そして高額プレゼント。

「がんばってる姿を観られるだけで幸せ」そう思いつつも。

彼のちょっとした「特別扱い」に心ときめいていた。

ある日。ネットでしょーた君に彼女疑惑が持ち上がる。

彼との匂わせを繰り返す女が気になり暴走するりさ子。

エスカレートする迷惑行為。その行きつく果ては……。

 

俳優とファン――「この関係で、私の気持ちは届くのかな?」

演劇業界の闇に切り込む、見て見ぬふりをしたかった愛憎劇。

 

 

www.finepromotion.co.jp

 

【感想】

きっと、俳優オタクを嘲笑うような、コメディ仕立ての話なんだと既に想像で少し腹立たしく思いながら観に行きました。

この世界にいると、観客はあまり自分たち自身でお客様は神様思考にはなれないんです。むしろ私自身は応援してることをどこか引け目に思っているというか。可愛い子なら嬉しいだろうけど、私はどう考えても可愛くもスタイル良くもない地味で覚えにくい顔の女なので、しかも妙齢で、まあ多分そんな地味な女が顔を覚えてしまうほど毎日毎日劇場にいたら、スタッフさんとかはこわいんじゃないでしょうか。こいつ俳優と付き合いたいんじゃ、とか思うんじゃないんですか。知らんけど。

そういう割にそういう層向けのチケットの売り方をしてたりするじゃないですか。恐らく馬鹿にしていながら。だから正直なところ観に行くのがこわかったし、少しでも観劇オタクを馬鹿にするような描写があったら糾弾する気まんまんだったんです。

が、

りさ子もたまちゃんもアリスちゃんもみんな私だった。私の中に確かに存在する人たちだった。

きちんと1人の人間として尊重して描かれていたのが、本当に本当に嬉しかったんです。

岐阜から遠征して観劇にくるたまちゃんと、実家でやりくりしながら通うアリスちゃん。そして全通コンプの追っかけ、りさ子。

全員この世界には溢れるほどいる。そしてみんなの考えていることが分かりすぎるほどわかる。

松澤くれはさんはどこのオタクを潜入調査したのかってくらいリアリティのある世界でした。愚痴垢もあれば、行けませんリプもあり、特定垢もある。この業界の人がここまでオタクの世界を分かっていた、ということがこの舞台を観て得た大きな収穫です。

 

わたしはそもそも全通はもちろん出待ちとかもしないので、認知なんて程遠いゆるいオタクなんですが、それでもオタクって板の上の俳優とどこか通じあってると思うんです。

馬鹿みたいでしょうか。

滑稽でしょうか。

客席と板の上で分かり合えることはひとつもないんでしょうか。

事実はそうなのかもしれない。

でもきっとなにか通じ合えるものはあると信じてるから私は応援できているのです。

 

りさ子たちが応援しているしょーたくんは24歳とは思えないほど人間として本当に出来た子です。こんな俳優いたら推せます。

しかしストーカー行為をされて、妄想ブログ書かれて、乗り込んだ彼女を監禁されナイフ突きつけているファンとしっかり話して、ファンの心の闇と向き合って気持ちを受け止められる俳優なんてこの世にいるんでしょうか…。いたら本当に素晴らしいですけど、俳優の仕事はファンの心の闇と向き合うことじゃないので、それはセラピストさんに任せて全然大丈夫です。責めないです。でもしょーたくんは素晴らしい。若手俳優がしょーたくんに1ミリでも共感できるのであれば、この世はバラ色なのかもしれない。それ以外はあまりにリアルなのにしょーたくんだけ存在がファンタジーすぎてこんな人いるのか全然信じきれない自分がいました。

りさ子は途中まで物凄く共感できて、途中から踏み込んではいけない一線を越えてしまって感情についていけなくなるんですが、最後にしょーたくんに畳み掛ける独断場が、全部共感できるんです。ガキさん凄すぎました。ひとつひとつが全部すとんと自分の中に落ちてきて、言って言ってー!もっと言ってー!ってなりました。

これ、めちゃくちゃ怖くないですか。実際にストーカーされている場面よりホラーでした。だって私にもりさ子は少なからずいるんだもん。多分ほんの数センチの心のズレが私とりさ子を分けているんです。

 

りさ子にとってなによりショックだったのは「彼女はいない」と嘘をつかれたことで、いるならいるって言って欲しかった。好きな人の好きな人を好きになれるかもしれなかったのに。何が起きても大丈夫だと思ってたのに彼女がいるって知った瞬間全部信じられなくなった。付き合ってほしいなんて思ってなくて、ただ、少しでも特別になりたかった。お金と時間をかけていたのに、イベントで「初めまして」と言われる人間なんだと突きつけられたのが受け止められなかった。

 

私は泣きながら聞いていました。共感しすぎていて。しょーたくんは全部受け止めてくれます。ファンである以上、りさ子を嫌いになんてなれないと言って、全て正直にご報告ブログを書きます。

りさ子は2人を解放してチケットを破り捨ててしまいます。

「愛はいつも私を裏切る」と言って。

そして、カーテンコール。幕が降り、りさ子が客席に現れ、新しい推しにお疲れ様でした、と言って幕。ラストは舞台自体もカンパニーの色恋沙汰で降板になったり、後味悪かったです。

 

結局りさ子は原敬のしょーたくんが好きだっただけで、しょーたくんのお芝居自体には魅力を感じてなかったんだなあ、とちょっと残念な気持ちになりました。原敬降板したらどうしたんだろう…。私は実際そっちの出来事の方が病んだので…。

 

私自身、りさ子のような感情ももちろんあるけど、でもそれより推しに幸せになってほしいし、役者としてもっともっと頑張ってほしい。認められてほしい。そしてなにより私は彼のお芝居がとてもとても好きなので、もっとたくさん観たい。 だから結婚しても大好きです。既婚者に大好きというのは正直自分の倫理観とのたたかいなんですけど、大好きです。ここが、この気持ちが、私とりさ子を分ける一番大きな隔たりなのだと思います。

私はりさ子にはならない。とても近い感情はあったと思うし、今もあるけれど、俳優としてとても好きだからこの線は踏み越えない。

結婚発表された時、この感情を人に説明することがとても難しくて、一般の人はおろか同じファンはおろか自分自身でもよく分かっていなくて。

名前もつけられず、この1ヶ月もやもやとしていた気持ちをこの舞台を観たおかげで少しずつ晴らすことができて、本当に観て良かったと思いました。

誰にも分かってもらえないと思っていたのに、分かってくれる人がいて、しかも演劇界にいる。震えるほど幸せでした。

色んな若手俳優若手俳優の彼女(笑)、若手俳優オタクの皆さんに観てほしいです。

演劇界に一石を投じる良作でした。

 

そして私はまた明後日からの推しの初日向けてお手紙を書くのでありました。

魔王コント

先日勢いで誰に通じるのかわからないなんちゃって論文を書きましたが、今回はちゃんとした感想です。

魔王コントからいつの間にか2ヶ月が過ぎようとしています。

面白くて楽しくて久しぶりに明るい気持ちで劇場を後にできる矢崎さん出演作品に出会いました。色々考えたけど、引きずらなくていいのは個人的にはとてもありがたかった。家城啓之さんの舞台は初めましてだったのですが、矢崎さんとめちゃくちゃ相性良い感じがしました。

マンボウやしろさんといえば、私にとってはスカロケの本部長。ブラック企業勤めの時社内でTOKYO FMから流れてくる本部長の励ましの言葉に何度も涙ぐんだ思い出があります。やしろさんは一人一人の相談に対して誠実に言葉を紡いでくれる方で、まるで自分に対して言ってくれてるみたいなんですよね。今はラジオが流れない職場なので縁遠くなってしまってますが、たまに聞くと、やっぱりやしろさんの言葉の力は偉大だなと思います。

そんなやしろさんが料理した矢崎広なんですが、矢崎さんの引き出しという引き出しから、たくさんの面を見せていただいていて、お得感満載というかなんというか例えるなら ベストアルバムでした!!

今年まだ矢崎さんにはたくさんの役が残されているけど、サルトより好きな役はあるかもしれないけど、サルトほどお得な役はないと思う。それほど矢崎広詰合せでございました。

かっこいい部分もかわいい部分も苦しんでる表情も色っぽい表情も笑いを取る部分もすべる部分もちゃらい部分も誠実な部分も全て!!!全てが濃縮還元されたような舞台でした。

メガホンで民衆の歌を熱唱したりすっごい長々とキスしたり際どいポーズしたり、かと思えば飛び蹴りしたりめちゃくちゃに罵倒したり可愛い子ぶったり…。最後は勝どきをあげててあまりのかっこよさに悶絶するという…どうして話の筋が通ってるんだ…。矢崎広は舞台中に成長するのが上手いっていう話は散々してると思いますが、その実力がいかんなく発揮された舞台でした。

お友達と「これはファンイベ」「これはベストアルバム」とか言い合ってました。それくらいすごい。

思ったよりものすごく親和性が高かったです。

毎日演出が変わっていって、場面が増えたり減ったりして通うのが楽しかった。もっと行けば良かったです。悔やむ…。

ノンスタ石田さんを始めとする芸人チームと矢崎さんやこばかつ、啓さん達の俳優チームの笑いに対するアプローチが全然違って、勝手にとてもエキサイトしてました。石田さんもおっしゃってたんですが、芸人さんはたくさんの言葉を重ねて笑いを取るのに対し、俳優さんはあくまで言葉はそのままで、間を使って笑いを取ることが多いように感じました。

明確にどちらが、というわけでもなくとにかく面白い人が多かったので、笑いっぱなしの2時間でした。ただ、観客が笑っていることが本当はすごく残酷だったりする、それがものすごく恐ろしくもありました。

一度、ラストにランディ魔王が自殺する場面で大爆笑が起きた時、背筋が凍るような気持ちになりました。この2時間で笑ってきたことの中身のエグさをそこで実感してしまったのだと思います。サルトをホモだと笑い、ガーナやみゆき姫をブスだと笑い、ランディの自殺を笑うんです。笑わせるようにできてる。笑うのが悪いって言いたいわけでもなくて、事実私は初見で笑ってしまったし。泣きもしましたけど。

正義と悪、笑いと悲しみって紙一重なんだなあとこのお話を繰り返し観るうちに気づかされました。

世界平和という大きな規模でなくても、誰かを悪者にするのってすごく簡単に仲が深まるものだと学生時代から思っていて。私自身はなるべくそういうものに頼らず人と仲良くやっていきたいし、だけどどうやったらなれるんだろうと模索してもいます。サルトのように間違ってる!と言う勇気もない小さな人間だから、必要悪に頼らないという小さな抵抗で小さな世界を平和にできるようにこれからももがきながら頑張ろうと思います。

こんな感じで色々考えることができて、メッセージ性が強く明確でしたし、楽しかったです。

あと、唐橋充さんにも匹敵するイケオジ枠だと勝手に思ってる加藤啓さんが、本当にただただかっこいいキス魔になっていて惚れそうでした。そして言葉がものすごく深かった。

「TRUE LOVEとは愛の使い方と覚悟の深さだよ」

この言葉を、ずっと心に留めておきたいと思っています。

「魔王コント」とフリーメイソンに関する比較考察

<序論>

魔王コントは2017年4月12日〜4月16日まで下北沢本多劇場にて上演された演劇作品である。脚本、演出は家城啓之で2010年に家城氏が組んでいたお笑いコンビ「カリカ」で上演されたコントショーの再演となる。今回、主演に矢崎広を迎え、石田明小林且弥小林顕作など豪華キャストによって演じられ、内容は初演から大幅なアレンジを加えられている。

本作品は「世界を守るのはいつだって悪なんだ」をテーマに、必要悪と人間愛に揺れ動く世界をコントという形式をとりながら描いている。私は本作に登場する魔族の概念がフリーメイソンの定義と似ていると感じた。

そこで本論文ではフリーメイソンの慣習と魔王コントの世界の関連性を述べ、後半にはモーツァルトフリーメイソンに贈ったとされる歌劇「魔笛」と魔王コントの比較考察を論じていく。

なお、本論文の根拠については全てインターネットで調べた内容になるため、真偽に一切の責任を追わないこととする。

 

<本論>

フリーメイソンとは16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社である。「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念を持ち、活動している。元は石工団体だったため、三角形で作ったコンパスと定規がシンボルとなっている。また、神の全能の目を意味するプロピデンスの目も、シンボルとして用いられていた。(Wikipediaより抜粋)

 

本来の活動としては、「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体であり、ボーイスカウトロータリークラブライオンズクラブ等のような社会奉仕団体なのだが、相反するフリーメイソン陰謀論が囁かれているのも、また事実である。

この世に起こる天災・人災はすべてフリーメイソンが関わっている。彼らは様々な企業、団体に潜り込み、世界征服をねらっている…といった都市伝説である。

 

なぜ、友愛結社なのに世界征服を狙っていると噂されるのか。真偽のほどはともかく、ここに魔王コントにおける魔族とフリーメイソンにおける必要悪の共通性を見出した。

どちらも平和な世の中にするための道具として天災、人災を使用しているという点である。一見すると真逆のことをしているようだが、魔王コントの作中で、魔王はこのように述べている。

「ボクが魔王になってなかったらもっと多くの人間が死んでたよ。魔王がいない時の人間は戦争ばっかりしてたんだよ。人間が人間を殺すための兵器作りにしのぎを削り、毎日毎日人間同士で殺しあったんだよ。」

 

人間は共通の敵を作ると一気に団結力や協調性が高まる生物と考えられる。その性質を利用し、人類皆兄弟の理想実現のために動いているという点において、フリーメイソンと魔族は共通している。

この点が、私が2者を比較しようと考えた最も大きな理由である。

 

さらにフリーメイソンの慣習と魔王コント作中における共通点を見てみよう。

前述した通り、フリーメイソンは三角形とプロピデンスの目をシンボルとしている。魔王コントのポスターも3人が三角形を作り、3人の目に「魔」の文字が浮かび上がっており、「3」という数字と目が印象的な仕上がりになっている。

フリーメイソンにおける3という数字はとても大きな力を持っている。(3のルール)

例えば、彼らの重要なシンボルであるピラミッドはトライアングルであるし、彼らの位階は下位が3階級、上位を含めた全体としては33階級(スコティッシュ・ライトの場合)である。彼らは〈直角定規〉と〈コンパス〉と〈聖なる法典〉を合わせて「3つの大いなる光」と呼ぶ。下位の3階級にはそれぞれ違った "3つ一組" の象徴的な〈作業道具〉が与えられる。また、そもそも「自由・平等・博愛」も「3」なのである。(3つのルールとフリーメイソンより抜粋)

 

 

魔王コントのメインの登場人物が3人であるという点においても共通していると考えられる。

 

また、魔王コントにおいて色欲の虎が

「(主人公サルトが"えっ、神様っているんですか?"と質問したことに対して)そういうところがマジで人間やばいよね。散々魔王に殺されてビビってるくせに、魔王の存在は信じてるのに神様信じないとかマジで絶滅した方が地球の為なんだけど。」

と述べている場面がある。

フリーメイソンに入会するためには入会資格として何らかの真摯な信仰を要求しており、無神論者は入会することができない。

主人公サルトは冒頭は無神論者だったが、その後タイガーバーム神と実際に会ったため、神を信じるようになる。そこから入会資格を得たため、魔族となれたのではないか。

この点も共通性を持つものと考えられる。

 

続いて、モーツァルト作曲「魔笛」と魔王コントの関連性についても述べていこう。

歌劇「魔笛K.620」は1791年にヴォルフガング・アマデウスモーツァルトにより作曲された。この歌劇はモーツァルトの知人であり、フリーメイソン会員のシカネーダーのために作曲されたと言われている。

本作にはフリーメイソンのさまざまなシンボルや教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、とりわけ各所に「3」を象徴的に使っているのが目立つ。序曲の最初や中間部で鳴り響く和音(同じフレーズが3回演奏される)は、フリーメイソンの儀式で使われるもので、劇中ザラストロの神殿内の場面でも再現されている。2人の作者がメンバーとしてフリーメイソンの精神をオペラ化したとも、当時皇帝から圧迫を受けつつあったフリーメイソンの宣伝であったなど、教団との関わりを重視する指摘があり、今日の演出にも影響を与えている。(Wikipediaより抜粋)

 

 

魔王コントの作中でもモーツァルトは頻繁に使われており、特に後期の作品である魔笛とレクイエムが印象的に使用されていた。このような経緯で比較対象として選出した。

 

まず、登場人物として魔笛ではヒーローポジションであるタミーノと魔王コントで主役のサルトを比較したい。

どちらも共通する点としては、登場時は情けなく、頼りないキャラクターだが、後半に進むにつれ成長し、最終的には団体を代表するような人物に成長するというところだ。

タミーノは登場時、大蛇に襲われる場面からのスタートだが、サルトも友人を見捨てて死なせてしまう場面から始まる。

しかし、後半にかけて、タミーノはパミーナ姫と結ばれるために教団の神官ザラストロの試練を乗り越え、サルトは魔族のリーダーとして君臨する。

1人の青年の成長を描いている点が共通している点の1つに挙げられるだろう。

 

また、魔王ランディに関していえばザラストロと狂言回し的な存在であるパパゲーノが合体したようなキャラクターであるといえよう。

言うまでもなく、ザラストロとランディに関しては互いに所属する団体の頂点に立っている点があげられる。

パパゲーノに関しての共通点は、ランディ首吊り場面で使用されている音楽がパパゲーノ首吊りの場面に使われている音楽と同じという点だろう。

この音楽はレクイエムでも「lacrimosa(涙の日)」のテーマとして使われている。そしてモーツァルトはこの曲を書いている途中で、病に伏し逝去している。

一見すると魔笛でのパパゲーノはパパゲーナの登場により自殺をやめたように思われがちだが、実は試練を乗り越えられなかったため、地獄に落ちているという通説がある。このメロディをランディに使用することに関しては家城氏は非常に意識をしていたのではないかと考えられる。

 

大まかなストーリーとして共通している点としては、1幕と2幕で善と悪がひっくり返る、この点につきるだろう。

どちらも1幕では悪だと思われていた団体が2幕で実は全く逆で、正義と善のために働いていたのだと主人公が属して気づいていく。

フリーメイソンの象徴として、光と陰や善と悪など相対するものが挙げられる。

モーツァルトはそれを意識し、魔笛では昼と夜や男と女などで表現しているが、魔王コントにおいてはストーリーの善と悪以外に相対するものは見受けられない。

 

<結論>

魔王コントとフリーメイソンにおける共通性をあげてみたが、関連する部分は多数あるものの、確実に決め手となる点は見つけられなかった。真実は家城氏の中にしかないのだ。

ただ、偶然にも近しくなったとしても、両者が平和を望み行動していることに間違いはない。

必要悪を使わずに、どうしたら平和な世界になれるのか。これは私たち人間の考えなければならない最大のテーマなのかもしれない。