sognamo insieme

君を夏の日に例えようか

嵐が丘

松竹120周年記念興行の「嵐が丘

キャストとしては気になりつつも矢崎さんがいなかったら見に行かなかったと思われるので、観れて良かったです。矢崎さんに感謝。

そもそも嵐が丘を知る入口になったのは、「ガラスの仮面」(バイブルです)。マヤが恋する気持ちを知らないまま演じ大評判となるんですが、結果的にマヤの大きな欠点が浮き彫りになるというエピソードです。大人キャサリンを演じる大女優夏さんとマヤのキャサリンはどちらも素敵なのに皆小さな違和感を感じます。真澄様だけがマヤのキャサリンは小さい子どもの物欲のようだと見抜く…というストーリー。

マヤが恋したことがなかったり、脇役でも主役を超す存在感を見せつけて、舞台をちぐはぐにしてしまう、大きな欠点が明らかになる場面です。

でもこれすごい解釈だなあ、と。終着点はほぼ一緒だけど、それに至るルートが違うって感じ。だから、マヤと夏さんのキャサリンはちょっとズレがあったんだろうなあ。私はキャサリンヒースクリフは下記のようなジャイアニズムじゃないかと考えています。

「私のものは私のもの。あなたのものは私のもの。あなたは私のもの。私はあなたのもの。」

お互いがお互いにとって自分自身であり、自傷行為は許さないという考えなのかな、と。

これって、マヤの演じた、「小さい子が宝物を奪われる」演技と形としてはほとんど同じになるんだろうなあ。実際もほとんど所有欲に近いところにあると思いますもん。

何の話かというと、そこが似ていると気づき、更にマヤの欠点をしらしめる大きなエピソードに当てはめた美内すずえ先生はすごいっていう話なので、そろそろ今回の嵐が丘の感想に入ります。

堀北真希ちゃんの演技はテレビでしか見たことがなく、初めての拝見した舞台姿だったのですが、とっっっても才能豊かな女優さんでした。とりあえず声が良い。いつまでも聴いていたくなるような私の好みの声でした。

テレビと舞台で役者さんの印象が変わってしまうのは、舞台は声が大事だからだとおもうんですよね。その素質が素晴らしくあるように感じました。

そしてキャサリンの強い意志のあるキャラクター。普段のおっとりとした姿から想像できなかったくらい、見事に演じてました。

とりあえず真希ちゃんは毎回同じモチベーションで舞台に臨んでいるような。

通う側としては毎回同じだと少し面白味に欠けるんですが、それでも毎回あのキャサリンをしっかりと同じモチベーションで演じられるのはすごい。

前半最後の叫びはいつも引き込まれました。

とりあえずお顔が小さい!握りこぶしくらいしかないんじゃないかな?というレベル。

絶対お友達になりたくない性格でしたが、説得力のあるキャサリンでした。

ヒースクリフ山本耕史さんは、メンフィス以来?私が観たのもそうだし、そもそもメンフィス以来の舞台なんですけど、あんなに「ハッカドゥー!」とか意味不明な単語を連呼して、陽気さで物事をどんどんうまく回していくような役から、こんなに影を背負う役になれるなんて、その振り幅にびっくりです。

前半はヒースクリフの悲しみに心を持っていかれました。後半は置いていかれるんですけど笑

初日は様子見だったのかなあ。後半にかけて2幕の凄みが増してました。

ソニンは久しぶりに見たんですが、すっっっごく好きだった!後半の笑いながら狂ったように出てくる場面がもう最高でした。

今年の下半期に何回か見れそうな機会があるので楽しみ。

今回の舞台は戸田恵子無双といっても過言ではないと思うほど戸田さん大活躍の舞台でした。ネリーってもっとゆったりした女性のイメージだったんですが、舞台の彼方此方を走り回りながら狂言回しというとても忙しい役で。

コロコロと表情を変えるのがとても魅力的でした。

ネリーが生き生きすると舞台全体が生き生きするように感じました。

2幕は特に主人公2人が暴走するので、観客とキャサリンヒースクリフを繋ぐ役割を果たしていました。

そして、ヘアトンの矢崎さん。

出番少ないだろうなとは思っていたので、まあ思った範囲内でした。

矢崎さんの荒んだ演技、久しぶりだけど、やっぱり好きです。

ヘアトンは誰よりも純粋な愛を持つ少年で、荒々しい言葉に覆われている心の内側にその純粋性を秘めていて、とっても素敵でした。

キャシーのことはもちろん好きなんですけど、ヒースクリフのことも同じかそれ以上好きなんですよね。

あの短い出演時間で、キャシーとヒースクリフをどちらも好きなのにどちらも選ばなければならない苦しみをきっちり演じていたように思います。

なんで、こんなにひどい仕打ちをするヒースクリフが好きなのかと色々原作未読の中思案したのですが、肉親に対する情に近いのかな、と。

小学生くらいまで、自分の親の言うことに間違ったことがあるなんて思わなかったじゃないですか。思春期を経て、親も1人の人間だと理解していくものだと思うんですが、ヘアトンにとってヒースクリフはそういう絶対的な存在だったのかな、と。

最後の場面でヒースクリフのために涙を流すのはヘアトンだけで、それがよりヒースクリフの孤独を浮き彫りにさせて、同時に前向きな終わり方にしていてとても好きでした。

全体として、何を言いたいのかがしっかりと伝わってきたし、熱量もしっかりと感じられて好きな舞台でした。

こういう大きな舞台は結構熱量を感じられるものが少ないと思うので、G2さん演出の舞台、また機会があれば観たいです。

2幕中は特に、たまに「なんでこんなに自己中心的なカップルを観て泣きそうになってるんだろう」と冷静になったりもしましたが、結局最後のヒースクリフの台詞にはいつもうるうるしてました。

よく、「人間は自分の片割れを探して生きている」というじゃないですか。

ヒースクリフとキャサリンは互いが半身なんだろうな、と思います。

その軸があまりぶれることなくお話が構成されていたので、非常に分かりやすかったです。原作の嵐が丘はもっと分かりにくそうですし。

「口当たりは悪い」ですが、可能な限り原形をとどめたまま食べやすい大きさに切ってくれたような作品でした。