sognamo insieme

君を夏の日に例えようか

女中たち

想い出になる前に書こうと思ってはや1ヶ月が過ぎてしまいました。

暑い夏の日に三軒茶屋で起きた文字で書き起こせばとても小さな事件を、2人の女中たちの闘いを、2人の俳優の戦いを、忘れたくない気持ちでいます。

Aパターン ソランジュ:矢崎広 クレール:碓井将大

Bパターン ソランジュ:碓井将大 クレール:矢崎広

舞台は奥様の部屋ワンシチュエーション。ごっこ遊びに興じる2人の姉妹、ソランジュとクレール。

最初の登場で2人の俳優が椅子を奥へと持っていき、クレールが肩甲骨周りの筋肉を魅せつけている間にセットの上半分が上がっていき、上がりきった音をゴングに芝居が始まる。

この始まり方が本当に好きで、身も蓋もない話をすると、この美しい筋肉を観られただけで、チケット代の元は取れたと思ってました。

ソランジュはクレール、クレールは奥様を演じ、最初は一方的に奥様が女中を罵るのだが、途中から、クレールの反撃が始まる。クレールが奥様に手をかけたところで目覚ましのベルが鳴り響く。

この手をかける場面のAパターンが本当に好きで。

美しい肉食獣のように奥様に飛びかかる矢崎さんと美しくあえぐ碓井くんが本当にスリリングで。

このまま殺人事件の目撃者になったらどうしようと思うほど臨場感あふれる演技でした。

2人は口げんかをしながら奥様を殺す算段をたてる。

奥様は2人のことを愛している。ご自分のピンクの便器を愛しているように。人としてではなく物として。

もうまっぴらなのだ。自分たちの蜘蛛みたいな身分が。

だから、奥様を殺す。旦那様は自分たちが内緒で書いた偽の手紙で告発したため、今は囚われの身。ところがそんな旦那様から仮釈放されたと電話が入った。旦那様は筆跡を調べ上げて犯人を見つけだすだろう。何も知らず憔悴しきった奥様を殺すには今晩しかない。

「人を殺すってなんとも言えない気持ちになるものね」と興奮にのぼせて歌っていると、奥様が帰ってきた。奥様のお世話はソランジュがやるので、クレールはその間に奥様への菩提樹花茶を準備する。睡眠薬を10錠入れたお砂糖たっぷりのお茶。これを飲ませれば奥様を殺すことができる。

2人が本来の自分に戻った場面。

本来の自分というものが、もうこの状態の2人にあるのか分からないくらいすでに錯乱状態にある2人。

お芝居をすることが2人の個を溶け合わせているように見えた。

奥様を殺す演技のふりをしながら、本当はクレールを殺すつもりだったソランジュ。

「あんたを自由にしてあげたかった」と言う。

先ほど溶け合っていると書いたばかりであれですが、なんとなくこの場面で2人のキャラクターが見えてきます。

ソランジュは姉。彼女にとってのアイデンティティーが姉であるということ。知識が豊富で、想像力が豊か。奥様を一度殺そうとしたがいざベッドに眠る奥様を見ると殺せなかった。旦那様を告発したときも、お手紙を作る協力はせずに旦那様とイイ感じに逃避行する自分を夢想していた。

クレールは妹。この時点で、クレールの方が一段落ソランジュより下の扱い。恐らく牛乳屋の本命はクレール。旦那様へのお手紙は全部彼女が作った。ソランジュよりも行動派。

なんとなくです。

奥様が帰ってきて、旦那様が囚われの身となったことを嘆く。そして私は彼が囚人となってもどこまでも着いて行くそういう女なの私はと延々とソランジュに語り続ける。

ソランジュがどんな言葉を投げかけても奥様の心に届くことはなく、そこにクレールがやってくる。

クレールの相槌は奥様の機嫌をどんどん良くする。

「奥様は今までより素敵な黒のドレスをお仕立てになるべきですわ!」

そして菩提樹茶に口付けようとする奥様。その直前に、ふと思い立ったようにソランジュへの尋問が始まる。「あの手紙を書いたのは誰なのか。誰だと思う?私は犯人を絶対に探し出してみせる。」

そこで電話の受話器が外れていることに気づく奥様。焦る二人。そしてとうとう旦那様が釈放されたことを白状する。

ソランジュにタクシーを呼びに行かせ、クレールと2人で待つ奥様。

そこで奥様は、クレールの頬紅と箪笥の上の白粉と目覚まし時計に気づく。

そして、菩提樹茶を飲んで欲しいと懇願するクレールに

菩提樹花のお茶で殺すつもりね。この私を。お前の花で。お節介で。今夜はね、シャンパンを飲むのよ」

と言い放ち、屋敷から去っていく。

残されたクレールが奥様が自分たちにやってくれたことをひとつひとつ述べて「奥様の優しさは毒薬なのです」と呟いたところに苛ついたソランジュがやってくる。

個人的にはここが一番緊迫感のある場面でした。古畑任三郎的なドキドキです。奥様の多岐川さんの登場で、舞台の雰囲気がガラリと変わるのが面白かった。

滝のようだった台詞たちがこの場面だけ小川のせせらぎのようになる感じ。

おっとりとした雰囲気の中にしかし殺意だけがピンと張り詰めていて、とてもスリリングでした。

奥様がどこまで知っていたのか知る由もありませんが、なんとなくAの方が断定的でBの方が弄んでいるような印象を受けました。

矢崎ソランジュのここの殺意を持った目が大好きで。矢崎さんは本当にこういう歪んで卑屈な人間を見せるのがうまい。笑顔の中に殺意を込めるのが見えてぞわぞわしました。

そして碓井クレールは愛され上手。何気なく愛される、という演技ができるのってすごい。妹の方が愛されるってあるあるだと思いますが、奥様がソランジュへの当たりが強いのはまだ他に理由があるかなって。

人間誰しも自分の人生では自分が主役で、自分が一番波乱万丈であるのだと思っていると思うんです。

奥様にとって悲劇のヒロインであり続けることが人生の主役であることだとしたら、それを脅かす存在が、ソランジュの卑屈な微笑みなのだと思います。

私はその辺の女とは違う。自分が一番不幸でなくてはならないのに、それを屈強に跳ね返すヒロインでなくてはならないのに、ソランジュの「私は不幸」という雰囲気がそれを阻害しているように思いました。

それが奥様にとっては我慢ならないのかな、と。

奥様がソランジュに対しての当たりが強いと特に感じたのは後半の回からなので、感覚でしかないのですが。

ここから怒涛のラスト場面です。

奥様を殺せなかったのはクレールの落ち度だと責め立てるソランジュ。自分も前に殺せなかったのに、棚に上げるお姉さんです。

もう終わりだ、ここから逃げようというソランジュにクレールは疲れた、姉さんには私がどんな気持ちで奥様と2人でいたか分からないと憔悴して項垂れてしまう。

それをさらに責め立てるソランジュ。そしてとうとう我慢の限界に達するクレール。

奥様になりすまし、「私を罵倒しなさい」とソランジュに言い放ちます。

クレールの突然の変わりように戸惑ってしまうソランジュ。自分の気分を乗せるよう罵ってほしいと懇願します。ありとあらゆる言葉を使ってソランジュを罵るクレールでしたが、どんどんネタ切れに。しかし乗ってきたソランジュは奥様(クレール)を罵倒し、クレールの首を絞めます。

動かなくなったクレールを確認して、長台詞、というより一人芝居を始めるソランジュ。クレールのお葬式と自分が徒刑場に送られて死んでいく様子をお芝居を交えながら語っていきます。途中からそれを起き上がって見ているクレール。

そして、それに気づくソランジュ。私たちはもうお終いだと嘆くソランジュに、クレールはお芝居の幕引きをしようと投げかける。

「私たちは自由になる。陽気になるの。あなたは1人で2人分の人生を生きるの。とても大変なことよ。でも忘れないでね。あなたが徒刑台にあがるとき、その後ろに私がいるってことを」

そう言って、ソランジュにお茶を勧めさせる台詞を言わせる

「奥様、菩提樹花のお茶をお召し上がりください。」

「まああなた、一番立派な紅茶茶碗に入れたのね」

嬉しそうに呟くクレール。

菩提樹茶を飲み干す。幕。

奥様がいなくなってからの2人の気分の上がり下がりが目まぐるしく、どちらか上がるとどちらかが下がり、鏡のように呼応しながら大きなうねりになって終末に向かっていっているようでした。

後半碓井ソランジュの「私たち、やっぱり呪われた姉妹だった」という言い方が大好きでした。どうしようもない絶望感、孤独感を2人に感じました。どう足掻いても2人で幸せにはなれなかった。そして矢崎クレールの温かい最後の台詞。クレールにとってはソランジュを解放できればそれで良かったのかもしれません。死ぬことで自由になれると本当に思っていたのかは分からない。もしかしたら、二人とも自由になれたし、ある種のハッピーエンドかもしれないと思っていた時もあったのですが、ソランジュの最後の表情で、この人はクレールなしで自由になれるのか、奥様の呪縛から解かれるのかは分かりませんでした。

もちろん自由になってほしいけれど。

私はこのお話を女中たちがしがらみや身分から解き放たれ、個になるために奮闘する話だと解釈しています。

彼女たちが人生をかけて追い求めた自由。自分という、個という身分。それを容易に得てしまっている私には、彼女たちを本当に理解できることはできないのかもしれないけど、それでも2人が愛しくて、品性の欠片もない言葉や行為も自分の嫌な部分や卑屈な部分を見ているようで、抱きしめたくなったし、幸せであればいいと思っています。

私にちゃんとジュネを理解できているのかは謎ですし、もともとこういう小難しい話はあまり観ないので、解釈も自分の手に届く範囲でしかできないのが悲しいです。ただ、とても好きな戯曲でした。生きることに真正面からぶつかっている話は好きです。

スイッチングキャストもとても良くて。2人が同じ役をぐるぐると演じ、カフェオレのように混ざっていくのがこの物語の本質に迫っている気がしてとても楽しかった。

もうスイッチングじゃなきゃ女中たちが観れないのではないかと思うくらいです。

意味がわからず全くついて行けない時にも、シミーズ一枚で半端丈ワンピースでガツガツ動く若い男の子たちを見れるだけで眼福だったので、視覚的な楽しみ方もできるのがとても気が楽でした。正直なところ。

チョコミミゴーオンジャーヴェニスの商人くらいまでしか知らなかった碓井くんですが、思った以上にクレバー。昔からですがかなり独特の雰囲気を持つ俳優さんです。女中たちという作品に入れ込みすぎてるのではないかと心配になるほどの狂気の演技なのに、数分後のアフトクではけろっとしていたりという読めないところも魅力。色々と初日は不安視していた箇所もどんどん良くなっていて。まだ23歳。凄い。これからが楽しみです。

奥様の多岐川裕美さんは恥ずかしながら初めて演技を拝見しまして。その圧倒的なパワーというか、オーラというか存在感に度肝を抜かれました。奥様の言葉は多岐川さん御本人のお言葉なのかなと思うほどしっくりと馴染んだ演技、声、仕草。こんな若造が言って良いものか分かりませんが、パーフェクトでした。2.3回目までは奥様のシーンから集中力がぐっと増すように思うほどでした。

多岐川さんの存在が真ん中でこのお芝居を支配していたような気もします。またどこかで多岐川さんのお芝居を観れたら幸せです。

矢崎さんも観たことのないくらいの追い込まれ具合で。そして改めてすごい俳優だと思いました。間の取り方でこの緊張感しかない舞台で笑いを取り、最後の間では泣かせにかかるという。すごく良かったのが、殺意を込めた目の演技。そして色んな場面での身体の力の抜け具合。無駄な力が入っていないので、とても柔軟に見えました。 そしてとても魅せ方が上手だった。

私はやっぱり彼の演技が大好きです。マクベスを観なかったことはとても後悔しているけど、これを観なかったら同じくらい後悔していたと思います。

私がこのお芝居で最も評価しているところは、3人ともに「見せる」ということを諦めなかったところ。ともすれば挑戦を見る、というスタンスになりがちな演目だと思います。事実、私はガチンコ勝負を観に通ったところも非常に大きいです。しかし、演者はお金を取って見せるエンターテインメントにすることを諦めず、実現させていたのが、本当に素晴らしかったと思うのです。毎回矢崎広碓井将大と多岐川裕美ではなく、ソランジュとクレールと奥様の一晩の戦いが行われていました。

だからこんなにも心を奪われ、抜け出せないのだと思います。

劇場もスイッチングキャストもとても面白い試みだと思ったので、またTSで舞台を制作していただければと勝手に期待。

三茶で過ごした暑くて熱い夏。これから三茶を通りかかる時には2人の姉妹のことを思い出すのかな、と思います。